中嶋悟が明かすアイルトン・セナとのエピソード。ブラジルでの最初のアドバイスは「水の飲み方と一般道の走り方」
日本人初のF1フル参戦ドライバーである中嶋悟は、参戦初年度となる1987年に、後に3度のF1世界チャンピオンとなる伝説的な存在のアイルトン・セナとコンビを組んだ。そして初陣となるブラジルGPで、セナからドライビング以外の一風変わったアドバイスを受けたという。 【ギャラリー】音速で駆け抜けた34年の生涯。アイルトン・セナの輝かしいキャリアを秘蔵写真で振り返る 1986年に全日本F2選手権を3連覇し、同じ年に国際F3000フル参戦初年度ながらランキング10位となった中嶋は、1987年からロータス・ホンダでF1への切符を掴んだ。 チームメイトは当時新進気鋭のセナ。中嶋は「速いし先輩だし、ちょっとショックを受けました。周りに何をしたらこうなるのかって聞いたくらいでした」という。しかし、そんなセナから1987年に中嶋は様々な指導を受けたと明かした。 「シーズンが始まってからは色々とご指導いただきました」 Honda Racing 2024 Season Finaleのトークショーに登壇した中嶋はそう語った。 「いつも言っていることですが、本当に優しかったです。言い換えると僕を敵だと思っていないので(笑)」 「ヨーロッパでいくつかのサーキットを走ったことがありましたが、それ以外のところは全て初めてだったので、あらゆるサーキットでコース図を見ながら、『ここは絶対に気をつけろ』と教えてくれました。1年目は全てそういう指導をしてくれました」 「鈴鹿の時は嬉しいことに、『こんな感じ?』ってちょっと聞いてくれたんです。僕よりも速いんだから良いだろって思いましたけど、デグナーカーブに入るところだとF1はまあまあ速いですからね」 また、ジャカレパグアで開催された1987年ブラジルGP、中嶋にとっては初のグランプリでは、現地ならではアドバイスを地元出身のセナから受けたという。 「水の飲み方と一般道路の走り方のレクチャーを受けました」と中嶋は言う。 「ブラジルはルール(道路交通法)がないようなモノでしたから『パンクしても止まるな。夜は赤信号でも止まらず、周りを見ながら渡れ。とにかく止まることが最悪だ』と」 「それと、お腹を壊す人が多かったので、水の飲み方はすごい真剣に教えてくれました」 「例えば、当時はピットに立派な建物があったわけではないので、飲み物も水と氷を放り込んだ大きな水槽の中にありました。水もペットボトルではなくて、プリンみたいなカップに入っているモノでした」 「自分ならフタを取って飲みますが、全てを取らずフタを残して、容器の外側に一切口をつけずに飲むようにと教えてくれました。僕には、それが最初のアドバイスでした」 またその年のモナコで中嶋は、Hパターンシフトでの度重なるギヤチェンジによって手の皮が剥けないよう、セナからテーピングを受けていたという。 「これはブラジルではなく初めてのモナコでの話ですが、セナは『ここは何度も何度もギヤチェンジをするから、皮がめくれてしまう』と言って、朝に薬を渡してくれて、彼が(テーピングを)巻いてくれました。そういう意味では、優しかったですね」 そして中嶋はセナとの思い出を振り返り、次のように続けた。 「色々思い出すことは多く、たった1年の付き合いですが、改めてすごいやつだったなという気がします。やっぱり人気になるべくしてなった人ですよ」 「速いですし、特にホンダさんとの付き合いもあり日本のファンも多く、全てがマッチしてスーパースターになったんだと思います」
滑川 寛