ふくしまオーガニックコットンプロジェクト:「口に入れる農作物をつくることができる福島」で、「口に入れない農作物」をつくる理由
日本の「綿」事情と手間のかかる「オーガニックコットン」
日本国内では、「植物としての綿の姿」を目にすることはまずない。コットンの栽培に参加する人々は口々に、「綿が植物だと意識したことはなかった」と言う。 日本の「綿」の自給率に関する統計は、現在は算出されておらず、0パーセントであると言われている。衣類や医療品などとして身近な資源でありながら、なかなかその「植物」としての姿を目にすることはない。日本では綿は室町時代の後期から栽培がはじまり、明治時代まではほぼ自給されていたが、今ではほぼ全てを海外生産品に依存している。 日本で綿が栽培されなくなったのは、海外生産品との価格差が理由であると言われている。現状での日本の栽培がゼロに近いため、正確な数値はないものの、おそらく100倍には価格差が生まれるのではないか。先進国の生産では高度に機械化を進めてコストカットが図られており、途上国では安い人件費が生産を支えている。 とくに、オーガニックコットンの栽培には多くの人手が必要になる。オーガニックコットンとは、農薬や化学肥料を使用せずに栽培・収穫した綿のことである。綿が生育する期間は雑草がよく育つ期間と一緒で、除草に労力がかかる。海外のほとんどの綿の栽培地では除草剤を使い、収穫の前に薬剤を使って葉を落としてしまうことが多い。栽培にかかる手間がそのまま価格差となり、「オーガニックコットンは高い」とよく言われる。
「手間」が「素人のための余白」を生み出す
現代の農業の現場では、技術の高度化や病害虫被害の防止などのために、畑などへの部外者の立ち入りを嫌がることが多い。部外者である消費者が、栽培の過程から関われる現場は多くはない。また、農業者人口の高齢化と減少により、部外者を受け入れるための現場の余裕はどんどん失われている。 しかし、オーガニックコットンの栽培には多くの「人手」が必要になる。夏場の除草は手作業の部分が多く、収穫も綿実をひとつひとつ手摘みしている。農業経験がほとんどない素人であっても、栽培に参加できる。実際の農業の現場を経験することができるのだ。 「こんなに大変だと思わなかった。農家って本当に大変ですね」と、実際に農作業をした多くの人が口にする。中には、「家のベランダでも綿を育ててみたい」と、のめり込む人もいて、育てた綿をいわき市まで持ってきてくれる人もいる。 日本でほとんど栽培されない綿だからこそ、他の農作物と異なる様々な可能性がある。農業へ理解を深め、小さくとも自分でも農業にチャレンジする人が、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトをきっかけに生まれている。 「新しい農業のかたち」が各所で叫ばれ、消費者とのコミュニケーションも重要視されている。一方で、農業の現場では、農業者人口の高齢化と減少が、余裕をどんどん奪い、実際には消費者が農業に関われる場がほとんどなくなっている。 農業に、「素人が関われる余白」を生み出すことは、今の日本の農業が置かれた現状の中では、貴重なことではないだろうか。他の農業生産の現場にはない新たな価値が、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトで生まれている。
この記事は、復興庁の「新しい東北」情報発信事業として、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)が実施した東北ローカルジャーナリスト育成事業の受講者による作品です。執筆:松本幸子
松本幸子