ふくしまオーガニックコットンプロジェクト:「口に入れる農作物をつくることができる福島」で、「口に入れない農作物」をつくる理由
「震災復興プロジェクト」として生まれた「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」は、震災から6年を経て、「口に入れる農作物をつくれないから」ではなく、「新たな価値を人に与えられるから」、綿をつくる場になっている。 東日本大震災による津波被害や、福島第一原子力発電所事故による風評被害で、いわき市の農業は消費の低迷や価格低下など大きな打撃を受けた。いわき市産の「口に入れる農作物」が消費者から避けられたためだ。「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」では、そんな状態を克服するため、2012年より「口に入れない農作物」である「綿」を栽培し、加工・販売することで、農家の新たな収入源とすることを目的としてはじまった。今では手ぬぐいやTシャツなどのオリジナル商品も開発している。 しかし、プロジェクトがはじまった6年前とは大きく変わったことがある。それは、今の福島県の農作物からは放射性物質はほとんど検出されていない、という事実だ。例えば、殆どの人が毎日のように「口に入れる農作物」である米。2015年度の福島県産米の全量全袋検査では、出荷制限がかかる基準値を超えた米は発見されなかった。他の野菜、果物の検査でも同様の結果が出ており、結果も公表されている。 2012年のプロジェクト開始の前提として、「口に入れる農作物を、今後の福島県で栽培していくことは難しいのではないか」という危惧があった。しかし、現状では福島県産の野菜には放射性物質汚染の心配はない。今の福島では、きちんと調べれば、「口に入れる農作物」を栽培することへの不安や障害はない。 では、なぜ、「口に入れない農作物」である「綿」をつくり続けるのか。そこには明確な理由がある。「口に入れる農作物をつくることができる福島」で綿をつくるのは、ある世代にとって「はじめて農業に触れる場」になっているからだ。
綿の栽培の現場が、「人が農業に出会う場」になる
私は福島県いわき市で「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」をすすめる、いわきおてんとSUN企業組合で、綿の栽培と栽培体験の受入を担当している。 プロジェクト開始から延べ2万人の人々が、企業ボランティアや旅行会社などを通していわき市を訪れ、綿の栽培に参加している。彼らは種を播き、草を取り、綿を収穫し、さらにそれを片付けるところまで、綿の栽培に関わる。 「実は生まれてはじめて、農作業するんです」 東京から企業ボランティアで訪れた50代の女性が嬉しそうに口にする。そう言うのは彼女だけではない。幼稚園でのサツマイモ掘りくらいの経験しかない、と言う人は多い。 いわき市に来る企業ボランティアの年代は、企業の年齢構成に応じて30~60代の方がほとんどだ。出身が地方か首都圏かを問わず、「今まで農業に触れたことがなかった」と言う人は多い。農業が「3K」と呼ばれ、長く顧みられなかった時代に高校までを過ごした世代だ。 しかし、ここ10年ほどで、農業に関する社会の意識は大きく変わっている。関心を持つ人も増えている。 ふくしまオーガニックコットンプロジェクトは、「人が農業に出会う場」をつくっているといえる。農業に触れたことがなかった人が、「社会的な意義があるから」「会社が支援しているから」、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの綿の栽培に参加し、農業にはじめて触れる場になっている。そしてそのまま、毎年のようにいわき市を訪れ、リピーターとなる人も多い。