「ここにいた人たちは、もう疲れることもできない」520人が犠牲になった日航機墜落事故 38年前の夏、20代だった記者は「御巣鷹」の急斜面を歩き続けた
カメラマンを含む記者たちを乗せたハイヤー2台は現場への入山口とおぼしき場所にすぐ到着した。僧衣のお坊さんが道の端に立ち、山に向かって一心不乱に読経をあげているのが見えた。 ▽けもの道を2時間、遠い現場 登山道はなかった。誰かが通ったから道のように見える、けもの道。急斜面をよじ登り、一息ついてはまた急斜面を登る。前方に立ちふさがる枝葉を払う棒が欲しかった。暑さと湿気がこもった木々をかいくぐり、私たちは少しずつ推定標高1500メートルほどの墜落現場に近づいていった。首に巻いたタオルはすぐびしょぬれになった。 2時間たっても現場が遠い。生い茂る樹木や雑草で足元の道さえ見失いそうになるため、互いに声を出し、全員いることを確認し合った。前日に現場を訪れていた先導役の記者が何度も「たぶん、もうすぐ」と汗だくの顔で振り向いた。 斜面を登る途中、前方の山肌に恐ろしいものを見た。航空機の胴体の一部と一目でわかる巨大な物体が、樹木に覆いかぶさるように落ちていた。太陽光が反射し銀色に光っている。そこにあってはならないものに、足がすくんだ。「現場が近いんだな……」。誰かが言い、私たちはようやく墜落地点の急傾斜の尾根に到着した。
一帯は、ただただ黒かった。木々の燃えかすと、まだ運び出されていない焦げた機体の一部。墜落による火災が完全に鎮火していないのか、ところどころ煙がたなびいていた。火災現場は何度も経験し、特有のきな臭さや焦げ臭さには慣れている。しかし、ここでは経験したことのない臭いがあたりを覆っていた。 ▽焼け焦げた木と思ったら… 急斜面にへばりつくようにして、手に長い器具を持った大勢の自衛隊員や警察の機動隊員、消防関係者らが腰をかがめながら乗客乗員を懸命に捜していた。既に犠牲者の多くは運び出されていたが、それでも時々ご遺体の一部を見つけた捜索関係者の大声が響いた。 発生からそれほど期間がたっておらず、現場の具体的な状況は報道各社にとって伝えるべき重要な情報だ。奇跡的にまた生存者が見つかれば大ニュースになる。「まだ助かる人がいるのではないか」。私たちは目を凝らした。 救助活動のじゃまはできないため、休憩中や手を休めている様子の人を見つけては話を聞いた。それを無線機で別の記者に伝えたり、山を下りてから宿舎で記事にまとめたりした。捜索状況の観察に加え、ご遺体や遺品の発見時の様子なども可能な限り聞き出す。応じない関係者が多い中、話してくれる人もいた。