モンスターだらけ…アフリカ最強ストライカーの系譜(3)ヤバすぎ…世界最強の決定力! バルセロナを至高に導いた英雄
ワールドカップ優勝国などは出ていないが、欧州サッカー界では常にアフリカにルーツを持つ選手たちが存在感を発揮している。中でもストライカーのポジションには驚異的な能力を持つ選手が多く、各年代に世界を席巻した選手がいた。そんな祖国では英雄的な扱いを受けることも少なくない、アフリカ各国の国籍を持つストライカーたちの系譜を振り返る。
サミュエル・エトー(カメルーン代表) 生年月日:1981年3月10日 代表通算成績:118試合出場/56得点 主な獲得タイトル:アフリカ年間最優秀選手賞(2003、2004、2005、2010)、ラ・リーガ得点王(2005/06)、UEFAチャンピオンズリーグ([バルセロナ]2005/06、2008/09、[インテル]2009/10)、ラ・リーガ(2004/05、2005/06、2008/09)、セリエA(2009/10)、アフリカネーションズカップ(2000、2002) 史上最多4度のアフリカ最優秀選手賞、チャンピオンズリーグ制覇3回など個人でもチームでも数々のタイトルを獲得してきた、2000年代の欧州サッカー界を代表するストライカーだ。16歳でカメルーンからスペインに渡ってレアル・マドリードと契約した。 しかし、マドリーではなかなかチャンスを得られず、1999/2000シーズン途中に移籍したマジョルカでブレイクを果たす。2002/03シーズンには離島の小クラブにコパ・デル・レイのタイトルをもたらし、2004/05シーズンからはバルセロナへと引き抜かれた。 エトーが最も成功を収めたのがバルセロナ在籍時だ。1年目からリーグ優勝に貢献し、ラ・リーガ制覇は3度。2005/06シーズンと2008/09シーズンにはCL優勝を果たし、ロナウジーニョやリオネル・メッシとともに強力な攻撃陣を形成した。 ペップ・グアルディオラと仲違いして移籍したインテルでは2009/10シーズンにCL、セリエA、コッパ・イタリアの三冠を達成した。2010年代に入るとロシアを経てチェルシーやエバートンに在籍し、イタリアのサンプドリア、トルコのアンタルヤスポルとコンヤスポルを渡り歩いて中東カタールへ。そして2019年9月に現役引退を表明した。 カメルーン代表としては1998年、2002年、2006年、2014年と4度のワールドカップに出場。2000年と2002年にはアフリカネーションズカップ制覇も経験している。A代表通算で118試合に出場し、2014年の代表引退までにカメルーン史上最多の56得点を記録した。