「体が動くならずっとサッカーをしていたい」元日本代表・福西崇史さんが中村憲剛選手の天皇杯ラストマッチを通して語るアスリートの宿命
中村憲剛選手について
――福西さんから見た中村憲剛選手はどういう存在ですか? 福西さん: いい人です。 サッカーを離れればもちろん優しくて、家族思いというのは皆様ご存じかもしれないですけど、サッカー選手で言うといやらしい選手。 相手にすると本当に嫌な選手です。 自分たちがやりたいことをやらせないようにプレイをしてくるし、守備側からすると嫌だなっていうところに中村憲剛選手がいたりとか、パス出したりするので、相手にとっては嫌な選手ですね。
ワン・クラブ・マン中村憲剛
――中村憲剛選手は18年間川崎フロンターレ一筋でしたね。 福西さん: なかなかいないと思いますね、1チームだけというのは。 移籍っていうのは海外では当たり前にされている中で、日本のマーケットでも移籍は頻繁に行われる時代になってきていますので、その中で1チームでずっといるのは非常に珍しいケースですし、チームのことを考えてやってきたと思いますから、その選手がそこのチームで引退するっていうことで、一丸となって優勝っていうところは意識し始めているんじゃないかと思います。
中村憲剛のラストゲーム
――中村憲剛選手は今どういう心境で決勝戦に臨もうとしている? 福西さん: 彼からすればいつもと同じじゃないかなと予想ができるんですが、ただやはり最後っていうので、思いがグランドに立った時にはめちゃくちゃ出るんじゃないかな。 覚悟をもって引退を発表して、そして最後の日を迎える。 今までやってきた思いとか苦労とか喜び、いろんなことがある中でこういう場面はもう最後だって思えば思うほど、グッとくるものもあるんじゃないかな。
福西崇史のラストゲーム
――ご自身のラストゲームを振り返ってみていかがですか? 福西さん: 僕はジュビロ磐田に12年間、FC東京1年、東京ヴェルディ1年で引退ですから、ジュビロ磐田の12年間が自分の中では長い思い出と言いますかね。 思いは成長した中であったなとは思います。 僕は、ラストゲームを迎えますって言われてのラストゲームではなかったので、常にやるべきことを考えて試合には入りました。 そして当時の東京ヴェルディは、降格がかかった状況の中で、強い川崎フロンターレが相手でしたので、なんとかこの試合を勝たなきゃいけないという思いで入り、退場することになり、そして結果J2に降格することになったわけですけども。 納得と言うよりもこういうサッカー人生だったんだっていう、なんかそんな感じでした。 僕の場合は特殊なラストゲームなんで。