山に断絶された村を救った廃道 郵便局員が使った「雪中隧道」も!雪国に眠る富山県の廃隧道の歴史に迫る
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、富山県にある"廃道"を巡りました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します)※廃道は危険ですのでむやみに立ち入らないでください。 豪雪地帯で使われていた“雪中隧道”は【5分9秒~】
水路から人道へ 人の往来を可能にした悲願の道「楢尾トンネル」
南砺市(なんとし)の利賀村(とがむら)エリアには、「豪雪地帯で大変だった往来を可能にした悲願の道がある」と道マニア。 利賀村は西側に利賀川、東側に百瀬川(ももせがわ)が流れており、標高1000mを超える山々に囲まれています。非常に急峻な峡谷地形のため、村の中の往来も非常に困難な場所でした。そんな難所を攻略するべく山を貫き、交通問題が解消したという歴史ある道があります。 国道471号から入った旧道の先に眠るのは、昭和30年竣工の「楢尾(ならお)トンネル」。当時はこの場所に人が通るための隧道を造っても利用者数に対して工事費用が見合ってないという理由で、県から補助金がおりず実現しなかったそう。 そこで、利賀村の有識者は農業の補助事業に着目して開田計画をたて、百瀬川から農地への水路として隧道をつくる案を提出。 昭和28年にその計画は承認され、2年間の工事を経て長さ800mの水路隧道が完成。その後、村の単独事業として水路の上に歩道を設置することで念願の道路となり、簡単に往来できるようになりました。 昭和63年にはすぐ南に「新楢尾トンネル」が開通し、「楢尾トンネル」は廃道化。現在は立ち入り禁止となっています。
郵便局員が使った雪中隧道 積雪期に活躍した「栃折隧道」
南砺市利賀村と富山市八尾町(やつおまち)の境の国道471号沿いには、素掘りの「栃折(とちおり)隧道」が存在。「郵便を運んだりするために造られた人道の隧道。かつ、積雪の時期に使われていたので"雪中(せっちゅう)隧道"と言われている」と道マニアは言います。 豪雪地帯でもある利賀村は、冬の半年間、主要道路は通行止めとなり陸の孤島状態に。この状態では郵便物なども届かず、日々の生活に支障が出てくるため、人が往来できる最低限の大きさで昭和34年に「栃折隧道」が造られました。 利賀村には"雪中隧道"が3か所存在しており、郵便局員は隧道を通った先の交換所で、それぞれの郵便物を仕分けして届けていたそう。利賀村からの郵便物は隣の八尾町へ届けられ、そこから鉄道に乗せて運んでいたと言われています。 昭和43年頃、当時の村長が6台のブルドーザーを導入し国道の雪を整備するようになったため、徐々に「栃折隧道」は使われなくなりました。人の往来を想定して造られた隧道のため天井は低く、現在は入り口から322mほど進んだところで封鎖され、行き止まりになっています。 6月4日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ