長崎の《有名観光地》に刻まれたフリーメイソンの「定規とコンパス」彼らは日本で何をしていたのか?
世界最大の秘密結社…とも言われる友愛団体「フリーメイソン」。長崎の有名な観光地には熱心に活動していたフリーメイソンの痕跡を刻んだ「あるもの」が残されている。 【画像】フリーメイソンのマークが残る有名観光地とは… ■フリーメイソンとは? 小説や映画では"陰謀論”も渦巻くフリーメイソン。 長崎市発行の「新長崎市史」によると【フリーメイソンは、中世のイギリスで数々の大聖堂を建てた石工たちによって始められた友愛団体である。広い職種の人がその後参加するようになったが、団体のシンボルであった定規、コンパスやその他の工具はフリーメイソンの理想である平等と正義の象徴として存続した】と紹介している。「メイソン」とは「石工」のことなのだ。 ■フリーメイソンと長崎 なぜ「長崎市史」にフリーメイソンの紹介があるのか?実は日本を最初に訪問したフリーメイソンは長崎に住んでいた。 日本が鎖国をしていた18世紀末に、出島オランダ商館長を務めたアイザック・ティチング。彼が、記録上日本に初めて居住したフリーメイソンとされている。 そして1885(明治18)年2月、長崎市にフリーメイソンのロッジ(集会所)が発足。熱心な会員のひとりだった英字新聞の編集者アーサー・ノーマンが、「松ヶ枝町四十七」にあった自社の2階を提供。敷地の入口にフリーメイソンのマークを刻んだ門柱を建てた。この門柱が、今もなお長崎の観光地に残されている。 ■有名観光地に残る「フリーメイソン」 その場所は「グラバー園」。学芸員の松田恵さんに案内してもらうと「旧リンガー住宅」の横にそれはあった。 グラバー園学芸員 松田恵さん: 「コンパスと定規を重ね合わせた感じになってるんです。これは石工の人達に必要な道具。それがマークになっています」 フリーメイソン達が活動した拠点のロッジ(集会所)の門柱。それは、「旧リンガー住宅」の傍らに移設されていた。高さ3メートルは超える左右の門柱には、当時ついていたであろう鉄の扉の上枠もくっついている。 柱の一番上には、フリーメイソンのシンボルマークが刻まれている。左の柱のマークはほとんど見えなくなっているが、右ははっきりと確認できた。