街のシンボル 名古屋テレビ塔が目指す今後の役割は?
昨年、開業から60周年を迎えた名古屋テレビ塔。GW中も名古屋の名所として多くの観光客が訪れているが、イベント目当ての地元客も多い。2011年のアナログ放送終了後は、新たな文化観光施設として生まれ変わらせようと「再生基本構想」を進行。いかに“賑わい”を創出できるかというテーマで、マーケットやライブ、企画展など一年を通じて多彩なイベントを行ってきた。今年度はいよいよ免震工事を含め、実際に内部をどのようにリニューアルすべきかという、具体的な計画立案の段階に入っている。「日本で最初に作られた電波塔ですから、先頭を切って次の役割を見つけ、発信していかなくては」と、名古屋テレビ塔株式会社 事業部でまちづくり事業を担当している加藤慎康さん。地元の人々にとって「街と心のシンボル」として愛されてきたテレビ塔が今あらためて目指す、新しい役割とは。
庶民の夢を、いち早く実現しようとしたテレビ塔
名古屋テレビ塔の竣工は1954年。きっかけは1923年に起きた関東大震災だったという。テレビ塔の初代取締役社長・神野金之助氏(元・名古屋鉄道株式会社取締役社長)は、震災発生時に関東にいた。 放送も電波もない時代、名古屋も大阪も壊滅と信じ込まれていたが、誤解と知り、電波放送時代の到来を確信。その後、NHK名古屋放送局が定期実験放送をスタート。東京・大阪では、放送事業者ごとにテレビの送信鉄塔を個別に建て始めていた。 一方、名古屋では受信者が1本のアンテナで、NHKだけではなく将来放送が予定されていた民間放送も受信できるよう、大きな送信鉄塔を共同で建設する計画を神野氏が先導。まだ高嶺の花だったテレビジョンという庶民の夢を、いち早く実現しようとしたのだという。
未来を考えていた当時の先進的だった建設
もう一つ先進的だったのが、設置場所として久屋大通の中心部を選んだこと。都心の100m道路上、名古屋有数の繁華街「広小路」やNHKの新社屋建設予定地などに近く、将来的に交通・文化・放送の中心地となる場所だ。 名古屋市の戦後都市計画の主要な柱、久屋大通公園整備と一体化すべく、観光タワーとして「名古屋地域が一望できる観光展望台」を併設しようと、当時の設計者らはパリのエッフェル塔を視察。まさに「東洋のエッフェル塔」を目指すことになったわけだ。 さらにエッフェル塔をしのぐとも言われる点は、テレビ塔の下に地下鉄が走り、さらにその下に地下街が広がるという三層構造になっていること。すでにそのような立体複合都市を目指す計画があり地中深く掘ることができなかったため、鉄塔4本の塔脚を鉄筋コンクリートアーチで結合するという建築方法(「だるま」式基礎構造)が採用された。 「通常は180mもの高さがあれば、地面を深堀りする方法を取るのでしょうけれど…、未来の名古屋の街のことを考えたうえでの、見事な先見の明だったと思います」と加藤さん。名古屋城から熱田神宮につながる、市内で最も地質が良く、自然災害時にも安全とされる地でもあった。工期わずか9か月間という突貫工事を経て、日本で最初の電波塔は完成した。