阿部真生騎CIV最終戦はキャンセルし帰国 レース活動に向けての思いを語る【CIV参戦を終えて】
「ノリック」故・阿部典史の長男である阿部真生騎は、2023年から渡欧。VFT Racing Webike Yamahaからスーパースポーツ世界選手権(WSBK)スーパースポーツ600に参戦した。2年目となる今年はイタリア・CIVイタリアン・スピード・チャンピオンシップ(CIV)へ挑戦を開始したが、最終戦イモラをキャンセルし帰国した。その阿部に聞いた。 【画像】CIV参戦の様子をギャラリーで見る(13枚) 文/Webikeプラス 佐藤洋美/写真:VFT Racing Webike Yamaha
イタリア選手権(CIV)第6戦をキャンセルし帰国
Q 最終戦をキャンセルしたのは何故ですか? 「祖父(阿部光雄)から連絡があり最終戦は走らないことになったので帰国するようにと連絡がありました。ファビオ監督との話し合いで決まったということでした。トラブル続きでレースがまともに出来ていなかったこともありますし、はっきりとは言われなかったけど全日本で芳賀紀行さんの次男、涼大さんが亡くなったこともあったのだと思います」 Q その時の気持ちは? 「最終戦のイモラは、2023年のWSBKでバトルをしたサーキットで、その時は転倒してしまって結果は残っていないけど好きなコースだったし、また、あの時のように競い合えたらと思っていたので残念な気持ちが大きかったです。最後まで走り切って終わりたかった。でも、祖父の心配もわかりますし、チームがトラブルのないように準備してくれているのかは、わからないところもあったので、祖父の指示に従いました」 Q この2年間を海外参戦しましたが、この時間をどんなふうに感じていますか? 「実は2年前の体制発表の時にWSBK参戦を知りました。全日本でも、まともにポイントを獲得したことのない自分が海外で通用するとは思えなかった。それでも、大きなチャンスであることは分かっていたので頑張るしかないと思いました。なんとかなるという思いと、なんとかしなければという思いがありました。WSBKは、当たり前ですがレベルが高く、まったく結果を残すことが出来ませんでした。予選落ちを経験するとは思ってなくて、恥ずかしいし、不甲斐なく、悔しさしかなかった。自分には基礎になる部分が足りないのだと、国内選手権を経験させてほしいとお願いしてイタリア選手権を走らせてもらえることになりました」 Q 全日本に戻る選択肢はなかった? 「そうですね。全日本に戻ったら、海外に戻るのは難しいと思っていたので、スペインかイタリアかという話し合いの中で、所属チームの判断でイタリア選手権になりました。ここで、力を示すことが出来たら、WSBK参戦のチャンスがあると思っていました。厳しいのはわかっていたけど…。そこに賭けたかった」 Q CIVの戦いは? 「日本で戦っている時は、こんなにトラブルはなかったのにと思いました。予選を走れても、決勝前にPCを繫いで電子制御のセッティングをパチパチとキーボードを叩いて、変更しているのか、直しているのかわからないけど走れなくなってしまう。さすがに、レースをしに来ているので、何故だと口論になりました。メカニックさんに言っても、納得できる答えはないので、監督に言うと、お前が悪い。遅いからだと言われて、逆に怒られてしまう。それは、それで、悔しいので、速くならなければというモチベーションにはなりましたが、バイクが走らないので、どうすることも出来ずに終わってしまった」 Q 後悔は大きいですか? 「イタリアに来てミニバイクコースで、小さい排気量のバイクに乗ってたくさん練習しました。監督は練習ではこんなに速いのに、何故、コースで、その速さを出さないんだ。今のお前はフィッシュ(魚)だ、シャーク(サメ)になれと言っていた。練習の成果を出すことは祖父にも言われていていました。練習は大事ですし必要ですが、実際にレースで乗る車両での走行がもっと必要だったと後悔しています。それでも、海外を走れるライダーは、そう多くないので、チャンスをもらえたことは感謝しています。結果には残らなかったけど、この経験は自分の中に残っていると思います」 Q 父(阿部典史)のようには行かなかった。 「そうですね。父のことは、本当に何も覚えてなくて…。でも、バイクに乘り始めて、皆がすごいレースだと言う1994年の日本GPのビデオを何度か見ました。バイクも乗り方も、今とは違いますが、あんなライディングが出来るのはすごいなと思いました。自分が阿部典史の息子だと知って、ピットの外やトラックの外で出待ちしてサインして下さいと言ってくれる人や、父の現役時代の写真を持って来てくれるなどして、声をかけてくれる人達が本当にたくさんいました。その人たちの姿を見て、父は、やっぱりすごいライダーだったのだなと感じました。そして、その期待に、自分は応えることが出来ていないのだと思うと辛くもありました」 Q これからは? 「まだ、何も決まっていません。CIVでランキング5位に入ることが出来れば、継続できる約束でしたが、それは、もう無理なので…。13歳からバイクに乘り始めて20歳になりました。たくさんの人に支えられて走り続けることが出来ました。子供の頃からサッカーをしたり、バスケをやったりしていましたが、バイクほどは夢中になれなかった。バイクは面白いし好きです。だから、バイクに乘り続けたいとは思っています。来季のことが決まったら報告させて頂きます」 2024年CIVチャンピオンには、リネージュ・ダビデ(Ducati)が輝き、ランキング2位にオッタヴィアーニ・ルカ(MV Agusta)が最終戦でダブルウィンを飾るも3ポイント差のランキング2位となる。ランキング3位にタッチーニ・レオナルド(Ducati)となった。
佐藤洋美