福島入団3年目、岩村明憲に突如降りかかった「総額1億円」の負債。「自分まで逃げることは絶対したくなかった」
岩村はそこで新たに運営会社を設立し、自ら代表取締役社長に就任。旧運営会社とは資本関係や株式譲渡のない別法人を設立して球団運営を始めた。「選手兼監督」から「監督兼社長」という新たな二足の草鞋に履き替えたのだ。 チーム名も希望を意味する「HOPE」に、岩村は「より情熱的に」という思いを込めて「RED」を加え、「福島レッドホープス」に変更した。赤は岩村が現役時代、グローブやサポーター、バットなどで好んで使用したイメージカラーでもあった。 2019年シーズン、チーム成績は前期4位、後期5位と前シーズン(前後期とも2位)から大きく落ち込んだ。しかし当時は借金を肩代わりして未払金の支払いを継続する中で、ホーム試合の開催経費や遠征費、選手やスタッフの給与など、毎月かかる経費をかき集めるだけで精一杯だったという。 「法人を設立したときは、僕自身が親会社になってしまったので『もうやるしかない!』という気持ちでした。運営し続けることは簡単ではありません。今もそうですけど、1年1年が勝負です。引き継いでくれる人はなかなか現れませんね。基本、利益は出ないわけですから。 自分で選んで乗った船なので、使命感で続けてきた部分は大きいかもしれません。ただ野球が持つ力で、純粋に福島の活性化に貢献したい気持ちが強いことも事実です。今も震災、原発事故の影響が色濃く残る福島に、活気溢れる場所をつくりたい。それが僕たちのホームスタジアムであればいいな、という思いで取り組んでいます。 自分だけの球団とはまったく思っていません。おらが町、おらが村のチーム、福島県民の球団です。例えば居酒屋で『今日の試合、あいつは活躍した?』と見知らぬお客さん同士で話題になり盛り上がっていただけるようなチームでありたい。何度も言いますが、おらが町、おらが村のチーム、福島県民の球団です。みなさんには長い目で見て、応援していただけたらと思っています」 ホームスタジアムを地域の活気あふれる場所にしたいーー。 岩村がそんな夢を見るようになったきっかけは、メジャーリーグ時代にマイナーリーグの球場で見た景色が影響していた。 (つづく) ●岩村明憲(いわむら あきのり)1979年2月9日生まれ、愛媛県出身。宇和島東高校から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞6度受賞。2007年にデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。17年に現役引退して以降も、監督兼球団代表として福島で奮闘の日々を送っている 取材・文・撮影/会津泰成