『おむすび』第1話から見返すと印象がまったく変わる? 震災の描写から伝わる作り手の覚悟
北村有起哉の名演によって立ち上げられた聖人の悲哀の物語
やたらと娘のことを束縛し文句ばかり言っているように見える聖人も、夢を持って移住した神戸の都市機能が麻痺して地元に戻ることを余儀なくされたとき、自分たち家族を受け入れてくれた神戸のために働きたいと思うただただ義理堅いだけの善人である。歩がギャルになったのも(彼にとってはグレたように見えている)、自分が神戸を優先して、娘をほったらかしにしてしまったからだと責任を感じて苦しんでいた。糸島フェスの打ち上げでお酒を飲んですっかり酔った聖人はこれまで抱えていた懊悩を皆の前で吐き出す。 また、商店街のアーケード建設企画で、真紀の父(緒形直人)を怒らせ、真紀と歩の仲が引き裂かれそうになっていたことも気に病んでいるのではないだろうか。どんなに前向きに復興に動いても、取り返しのつかない喪失に人は苛まれ続ける。 聖人は、一度は実家に戻ったものの、自分の技術で勝負してきた理容の仕事や、父から離れてようやく自立できた神戸という場所を忘れられず、地元では物足りなさを感じている。また、ホラ吹きではあるが、なぜか圧倒的に人間力のある父・永吉にどうしてもかないそうにない息子の焦りも。永吉は聖人が酔って騒いでいるときは寝たふりしているという余裕の人間力を見せた。 北村有起哉が人間の深いところまで潜って、つかみどころのない感情を形にして見せる演技をする俳優なので、これまでの朝ドラになく、父あるいは息子の悲哀の物語が立ち上った。週の終わり、金曜日に、ひとりの男の物語で締める朝ドラとはなかなか画期的である。さらに北村有起哉はドメスティックに済まさず、被災した人たちのやりきれなさもその身に引き受け代弁していたように見えた。 北村有起哉といえば、映画『浅田家!』(2020年)では東日本大震災で行方不明になった娘を探し続ける父親を演じ、その必死な姿は胸を打った。状況は『おむすび』とは違うが、娘を想う気持ちの強い役であることは変わらない。
木俣冬