「おかしいとおもわなかったのか」〝名札〟に名前が書かれない「岸田文雄夫人」 園遊会光景にSNSで議論
「過去の亡霊に縛られている」
園遊会の名札問題について朝日新聞デジタルで記事を配信すると、読者の皆さんから「100年以上前にさかのぼったような気がした」「過去の亡霊に縛られている」などと、「夫人」「夫君」の表記を批判する意見が相次ぎました。 ある読者は、本人の名前の代わりに「of Fred」(フレッドのもの)と呼ばれる侍女が登場する小説「侍女の物語」(マーガレット・アトウッド著)を挙げ、「この小説はフィクションではないのかもしれない」と指摘しました。 ある60代女性は、かつて自治体からの通知書に夫の名前は書かれていたのに、自分は「他一名」と略されていたり、地元自治会の会議に出た際、実際に出席した自分の名前ではなく夫の名前が名簿に書かれていたりした経験をつづってくれました。「女性はこういう扱いを長く受けてきた」と記した文面からは怒りが伝わってきました。 「SDGsジャパン」理事の長島美紀さんも、記事へのコメントで「名前を奪われる」身近な例を挙げてくれました。 結婚後の女性について「『奥さん』『XXちゃんのお母さん』と、とりわけ名前を呼ばれることは少なくなる」。報道でも「夫がフルネームで呼ばれるのに対し妻は『妻のXX(名前)さん』とフルネームでは呼ばれなかったりする」と指摘します。
夫の姓に、名刺を作り直していた母
婚姻届を出した夫婦のうち約95%は女性が改姓しており、夫が戸籍の筆頭者になる日本社会では、特に女性が、本人の思いに反して名前を「奪われる」場面は少なくないようです。 しかし声を上げられる人は限られています。感想を送ってくれた人たちにとって、園遊会の名札で名前を省略されてしまった光景は、そんな日本社会の縮図のようにも見えたのかもしれません。 取材していて筆者が思い出していたのは、中国人の母のことでした。 日本人が外国人と結婚した場合、別姓のままを選ぶことができます。母は日本人の父と結婚した後も、変わらず住民票上は別姓の「王」です。 母としては「王」で統一したかったのですが、仕事の都合上、仕方なく父と同姓の「小川」を名乗った時期がありました。 当時小学生だった私は、母が名刺などを作り直す作業をそばで見て、「自分自身の一部」が使えなくなる母の葛藤を感じました。 私の母に限らず、すべての人にとって、名前はアイデンティティーを形づくる大切なものです。 ただ、残念ながら、こうした表記は数十年経った今も、「過去のこと」だと言い切れない面があります。