研ナオコが志村けんや八代亜紀、りりィら“天国の盟友”への思いを吐露「最期の顔が本当にきれいでした……」
その後も、大橋純子や八代亜紀と、研ナオコと同年代の歌手が相次いで亡くなってしまったが、どういった心境なのだろうか……。 「こうやって、同じ時代を生きてきた方々の知らせ(訃報)が続くのは、悔しくてたまらない。とにかく、寂しい。そして、もったいない。大橋純子さんとは、歌番組でご一緒することが多くて仲良くさせていただいていましたし、八代亜紀さんは、いつもやさしくて共演の際にはうちの娘を気にかけてもらっていました。私も『舟唄』が好きで、自身の45周年アルバムでレコーディングしているのですが、その出来には納得していないんですよ。悔いが残っています」 ほかにも、コント番組での共演が多く、ユニット「けん♀♂けん」としてデュエット曲を歌ったことがある志村けんも’20年に亡くなっている。特に、「なまたまご~」「あかまむし~」と言いながら、研ナオコが志村けんを誘惑するという夫婦コントや芸者コントは、動画サイトでも関連動画が大量にヒットするほどの大人気だ。あの、なまめかしい独特のセリフは、どうやって生まれたのだろうか。 「あれは、番組の中でどんどんエスカレートしていったんです。最初は、“なまたまご~”って可愛く言っていたのですが、そのうち全部、鼻から声が抜けるようになりましたからね。(志村)けんちゃんが、いやらしい声で“これは~?”って誘ってくるんですよ。そうすると、こちらも、白目をむいて“なまたまご~”って返すしかないじゃないですか(笑)。けんちゃんとは、本当に長い間、ご一緒させてもらいましたね……」 さらに、第29位の「私は泣いています」は、シンガーソングライター・りりィのヒット曲(’74年発売)を、’16年に亡くなった彼女への哀悼の意を込めて、’19年にカバーしたものだ(第40位の「愛」もりりィのカバー)。 「りりィとは、デビューしたころからずっと仲良しで、彼女はギターを弾きながら日本酒を飲み、私は飲めないけれど、いつも一緒にいろんな話をしていましたね。あるとき、“ナオコちゃんのために曲を書いたから”と言って、弾き語りで『私は泣いています』を歌ってくれました。でも、“これはいい曲だから、りりィが自分で歌わなきゃダメ!”と言って断りました。それで、彼女が自分で歌ったものがパーッと売れて(オリコン最高3位、累計52万枚以上)、とってもうれしかったんです。 近年はSNSでずっとやりとりをしていて、“いつか同窓会をやろうね”って言っていたのに、私が45周年のツアーで全国をまわっていたときに突然、亡くなったという知らせが来て。そこから大急ぎで、東北から車で逢いに行きました。最期の顔が本当にきれいでした……。 こうやって悲しい知らせが続くと、“私、頑張んなきゃ!!”って、つくづく思いますね。みんなの分まで、なんらかの形で頑張って、昭和のいい曲にもっと目を向けてもらわなければ、という責任を感じています」