【ミスター・ル・マンが自らドライブ】ファンの心を繋ぎながら、マツダ787Bは今も走り続ける!
マツダオート東京がファクトリーチームに発展してル・マン参戦を継続
『寺田陽次郎のル・マントーク』と銘打ったステージイベントは、初日が1991年までの前編、2日目がそれ以降をテーマとした後編として実施され、筆者は初日に往時の逸話を聴いてきた。 「シグマMC74マツダは、どこまでも回るロータリーエンジンと軽量かつコンパクトなボディという組み合わせなので、これなら勝てると思いました。でも、実際には無謀な挑戦だったのです。というのも、ロングボディにしたら遅くって……。ダウンドラフトのウェーバーキャブに丈夫な金網のファンネルを付けたのですが、エンジンに吸い込まれてしまい、オーバーホールしたんですよ。人間以外は全部壊れました」 マツダは1981年から毎年ル・マンに参戦したが、マツダオート東京モータースポーツ課が1983年にマツダ傘下のファクトリーチームであるマツダスピードに発展。グループC2、3ローターエンジン時代を経て、4ローターエンジンを搭載するレースカーを開発するに到った。 「本当に大変でしたが、ずっとロータリーエンジンに惚れ込んで、歩みを止めることなく挑戦したことが後年の優勝につながりました。ひとつの物事をやり遂げたいという気持ちが人を動かしました」 そのように話してくれた寺田氏は、「RX-7 254は日本のチームで初完走したマシンなので一番好きです」ともコメントしていた。 なおこの日は、1971年の富士マスターズ250kmレースに参戦したゼブラカラーのRX-3、マツダオート東京カラーを纏ったRX-3、そして、1979年のデイトナ24時間レースで寺田氏が駆った仕様のサバンナRX-7、片山義美仕様のRX-3、MSCC仕様のRX-3、1970年スパ24時間仕様のファミリア・ロータリークーペなども、『歴代レーシングカーデモラン』でロータリーサウンドを響かせた。
高桑秀典(執筆) 平井大介(撮影)