「日本人らしさって?」「ミスコンって必要?」「週刊誌報道っていじめショー?」ミス日本騒動には今日的テーマが詰まっている件【小島慶子】
女性が外見の美を大事にすることには全く反対しません。それで自分自身といい関係が築けるなら何よりだし、自分の体をどうしようがそれはその人の自由ですものね。ただ、コンテストがなくても自分のケアはできます。ボランティア活動や社会課題の啓発活動への参加も、ミスコンがなくてもできます。いろいろな国際的なイベントの使者を務める人を選ぶのなら、若く美しい女性に限定しなくてもいいのではないでしょうか。うちの国で選りすぐりのとびきりの美人を遣わしますよ! というのでは、まるでお供物のようです。社会の関心を掘り起こすためには注目を引く若者が必要なのだというなら、今はSNSがありますよね。実際、そのようなインフルエンサーがたくさんいますから、ミスコンを開催しなくても若い人が大事なことを世の中に伝えるチャンスはいくらでもあるのです。もはやミスコンは、それを開催することによって潤う人たちのためにしか存在意義がなくなっているのは、大学の学祭でも同じことです。広告効果を狙った大人たちが群がる学祭のミスコンを巡っては、運営側による性暴力事件まで起きています。ミスコンで誰が得するのか、誰が潤うのか、誰が見たがるのか、誰が奨励しているのか。もうやめるべき時が来ています。
ミス日本騒動の最終幕は正義のフリをした「いじめショー」
今回、受賞者がグランプリを辞退した理由は、週刊誌が既婚者との恋愛歴を報じたことでした。週刊誌はゴシップで利益を出す媒体ですから、注目の集まっている人物がいれば記事にするのでしょう。もちろん、既婚者との恋愛は、相手の家族を傷つけます。でも、有名人でもなく、ただでさえ人種や容姿をめぐって誹謗中傷のターゲットにされている20代の女性のプライバシーを詮索し、精神的にも社会的にも追い詰めるのは、残酷なやり方です。かつて人気女性タレントをターゲットにし、再起が難しくなるほど執拗に報じたのも実に心ないことでした。もはや週刊誌の記事とネットと後追いのテレビとの総がかりのいじめでした。いじめショーという娯楽と化しているのです。 既婚男性の家族の立場に立てば女性を許せないという人もいるでしょう。そうですね。ご家族は非常に辛いでしょう。家族の信頼を裏切った当事者は既婚男性です。週刊誌が記事にしたことで、男性の家族は世間の注目を浴び、プライバシーを詮索されて怖い思いをしているかもしれません。ネットに色々と書き込んでいる人たちがもし本当に既婚男性の家族のことを思うのなら、無関係の人々が憶測し詮索することによってその人たちに与えている恐怖についても冷静に考えるべきではないでしょうか。たとえ味方してあげたい、正義を行いたいという思いからであってもです。 誰が日本人か、女性の見た目を比べるのはアリか、いじめショーという娯楽は正義なのか。今日的な問題がいくつも交差したミス日本騒動。グランプリは1年間、空座となるそうです。いつまでこんなことを繰り返すのかと思わずにいられません。
小島 慶子