【特集】『霊山歴史館』で坂本龍馬を斬った刀の謎に迫る!体毛まで再現された“実物大”龍馬像に、西郷隆盛を斬った刀も 動乱の世に思いを馳せる京都歴史散策<中編>
作家・若一光司(わかいちこうじ)氏と、両親が大の龍馬好きだという『読売テレビ』プロデューサー・五十嵐竜馬(いがらしりょうま)の二人が、幕末の志士たちにまつわる貴重な資料が数多く展示されている京都『霊山(りょうぜん)歴史館』へ。前編では、龍馬を斬ったのに有名ではない男の正体を探りました。今回は、龍馬を斬るために“小太刀の達人”が送られた理由に迫ります。さらに、西郷隆盛を斬った刀も登場。幕末から明治維新への歴史を徹底調査します。 <前編>幕末・維新を生きた志士らの遺品が現存する『霊山歴史館』で、坂本龍馬を斬った男の真相に迫る!初代館長・松下幸之助氏の想いとは?動乱の世に思いを馳せる京都歴史散策【写真で見る】
■龍馬を斬った刀が脇差だった理由を、模型でわかりやすく解説
<前編>では、龍馬を斬った実行犯は“小太刀の達人”ともいわれている『京都見廻組』桂早之助だったという説が有力ですが、龍馬を斬った1か月半後に『鳥羽伏見の戦い』で戦死したため、有名ではないことが判明しました。
では、なぜ龍馬を斬ったのは刃渡りの短い『脇差』だったのでしょうか?その理由が一目でわかる展示物が、『霊山歴史館』の2階にありました。 (作家・若一光司氏) 「こちらに、『近江屋事件(慶応3年/1967年)』の再現模型があります。『近江屋』は、土佐藩に関係の深い醤油商でした。そこに龍馬がいて、中岡慎太郎が訪ねて来た夜に、事件が起こったということです」
(若一氏) 「この入り口から、『見廻組』が入ってきたということですね?倒れているのは、山田藤吉ですか?」 (『霊山歴史館』学芸課長・木村武仁さん) 「そうです。相撲取りのね」 (若一氏) 「坂本龍馬のガードマンのようなもので、力士あがりの19歳の少年ですよね」
『京都見廻組』の7人は、龍馬の知り合いになりすまして藤吉を背後から襲い、2階へ上がって、龍馬と中岡慎太郎が密談している部屋へ。そして、長刀ではなく脇差で龍馬を襲ったのです。その理由が―。
(木村さん) 「天井が勾配天井で、斜めになっていて低かったということから、脇差で斬りつけます」 (若一氏) 「龍馬がいる部屋は2階部分で、屋根が低いので長刀が使いづらいと、『見廻組』はわかっていたということですか?」 (木村さん) 「そうです」 (若一氏) 「そこで、桂早之助のような“脇差の名人”に任せた、ということになるんですかね」
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