デザイナー 中里唯馬 氏が語る、未来を切り拓くラグジュアリー【前編】:「ゴミから作るラグジュアリー」をクチュールで挑戦
現在、日本からただ1人、パリのオートクチュールファッションウィークでショーを発表しているブランド、YUIMA NAKAZATOのデザイナー、中里唯馬氏。テクノロジーとクラフトマンシップを融合させた実験的なクリエイションによって世界的な評価が高まっている。環境問題など社会課題解決にファッションからのアプローチによって取り組むユニークな姿勢にも注目が集まる。 中里さんが考える「未来を切り拓くラグジュアリー」とは何なのか。前編、後編、2回にわたって、その挑戦的な戦略とフィロソフィーについて、デザイナーをデビュー当時から知る、元『ヴォーグ ジャパン』編集長でファッションジャーナリストの渡辺三津子がインタビューした。 ◆ ◆ ◆ デザイナー 中里唯馬 氏が語る、未来を切り拓くラグジュアリー【前編】:「ゴミから作るラグジュアリー」をクチュールで挑戦
アントワープ王立アカデミー卒業後、オートクチュールを目指した理由
渡辺三津子(以下MW) 唯馬さんには比較的頻繁にお会いしていますが、インタビューは久しぶりですね。私が『ヴォーグ ジャパン』在籍中に、YUIMA NAKAZATOのブランドをスタートしたばかりの頃に唯馬さんが服を持って編集部にいらっしゃったとき、初めてお会いしました。最後に対談したのはコロナ禍のときで、パリではなく東京でショーを発表なさったときでした。唯馬さんはパリのオートクチュールファッションウィークに現在、日本からただ1人の公式ゲストデザイナーとして参加している方です。そこがまず他のデザイナーと違う重要なポイントだと思います。その選択に至った理由や戦略をあらためて教えてくださいますか。 中里唯馬(以下YN) 初対面のときは、私がまだ20代の頃でしたね。その後、今後のことを考えたときに自分にとっては、オートクチュールのように目指す人が少ない道を選ぶのが重要だと方向性を定めました。先輩方や同年代のデザイナーが、プレタポルテを目指す流れがあるなかで、自分も同じ道でいいのだろうかという思いがありました。私がファッションを学んだベルギーのアントワープ王立アカデミーは、自分のアイデンティティやオリジナリティを徹底的に問う教育方針だったので、自分にいちばん適した道は何なのかとずっと模索していました。東京でデザインを始めたとき、オーダーメイドとか衣装デザインを依頼されることが多くなり、一点物を作ることや、着る人に直接話をしながら作っていくことの楽しさをシンプルに感じることができました。その流れが、自然とオートクチュールにつながっていくことになったのです。 中里唯馬/1985年生まれ。2008年、ベルギー・アントワープ王立芸術アカデミーを日本人最年少で卒業。2015年に「株式会社YUIMA NAKAZATO」を設立。2016年パリ・オートクチュール・ファッションウィーク公式ゲストデザイナーに選ばれ、コレクションを発表。その後も継続的にパリでコレクションを発表し、テクノロジーとクラフトマンシップを融合させた新しいものづくりを提案している。 MW 日本にいながら衣装やオーダーメイドの制作をすることは考えなかったのですか? YN 日本国内での衣装製作の案件が、海外と比べると機会や予算が残念ながら少なくて、バレエなどの舞台芸術もマーケットが小さいので、この道でやっていくのは厳しいと感じていました。モチベーションがあってもビジネスとしては難しい。ラッキーなことにいちばん最初にいただいたオファーがブラックアイドピーズという海外アーティストからだったので、バジェットの違いをそれで知ることになりました。予算が日本に比べて10~20倍ぐらい違う。欧米のデザイナーとの比較のなかで、わざわざ日本のデザイナーにオーダーをしてもらうためには何かバリューがないとコンスタントにオファーをもらうのは難しいとも感じ、そのバリューを高めるためにパリのオートクチュールに参加することを考えました。世界での競争力や交渉力をつけていきたいというチャレンジでもあったんですね。 MW そういうマーケット規模や経済的なことは、クリエイションを一生の仕事として継続していくうえではとても重要な問題ですよね。好きだから頑張れるということとは違うと思います。若いときからビジネスの展望をまず考えてスタートするデザイナーはまだまだ少ないと感じます。しかし、オートクチュールに参加するのは簡単なことではないはず。 YN ラッキーだったのは、オートクチュール協会と強いパイプのあるアントワープ時代の知人がいて、その方に協会に繋げてもらうことができました。最初のミーティングの前に日本での推薦状が必要と言われたのですが、それは応募者がどれくらいのポジションのデザイナーなのかを判断するためです。高校生のときに応募した装苑賞の審査員だった方などにお願いしました。その次の関門として、オートクチュール協会に加盟しているブランドの最高責任者からの推薦状が必要になり、アントワープの先輩デザイナーでに学生時代に一度だけお会いしたことがあるような方にお願いしたり、いろんな伝手やご縁をたどってみなさんにお力を貸していただきました。