ドラフト指名されなかった君へ「2度指名漏れから1位」ヤクルト・吉村貢司郎の金言…「悔しさを生かすも殺すも自分次第」「諦め悪いですね(笑)」
ヤクルト相手の快投で“3度目の正直”を引き寄せる
2022年ドラフト会議を前にした10月6日。吉村は自らの投球で運命を切り拓く。同年セ・リーグを制したヤクルトが、クライマックス・シリーズまでの調整のために組んだ東芝との練習試合に先発。この年日本人選手最多のシーズン56本塁打を放った村上宗隆を空振り三振に仕留めるなど、3回3安打無失点、7奪三振の快投を見せた。 この投球が決め手となり、ヤクルトは吉村の1位指名を決定。ドラフト会議前日に、高津臣吾監督がそれを公表したため、“3度目の正直”の瞬間は運命の日を待たずにやってきたのだ。当日は前回と同じく、寮の食堂で夕飯を食べながら中継を見守った。 「東京ヤクルトスワローズ1巡目指名選手、吉村貢司郎」。アナウンスと同時に、チームメートから祝福の声が飛ぶ。別室の記者会見場に向かうと、3年前のあの日は“解散”していった報道陣がカメラを向けて待ち構えていた。 「他のドラフト1位選手は指名の瞬間を生中継されているのに、僕だけワイプが文字だけの画面だけだったのは寂しかったですけど(笑)。母は前日に電話で、ここまでよく頑張ったねと言ってくれました。家族が一番心配していたと思うので、それは本当に良かったです」 2度の「指名漏れ」を経ても夢を諦めずにいられた理由を、吉村は「単純に野球が好きだったから」と話す。 「成長していきたい、レベルアップしていきたいというその先に、プロ野球選手になりたい、という目標があった。幼稚園の頃からプロ野球選手、って思っていましたけど、諦め悪いですね。アホなんですかね(笑)」
悔しさを生かすも殺すも、自分次第
大卒でプロにかからず、社会人野球で3年間鍛え抜いたことが「回り道」だったとは思っていない。2度の挫折は少なからず、吉村を大きく成長させる糧となった。 「僕自身は、指名漏れが次こそ必ず、と奮い立つ理由になりました。それがあったからこそ、頑張れたとも思います。でも、行けるものなら早く行きたかったですよ。だって高卒で入った同学年の(高橋)奎二なんてプロ9年目でしょ。僕は2年目ですけど」 今シーズン吉村は初めて開幕からローテーションを守り抜き、23試合に先発して9勝を挙げた。ヤクルトの投手陣を勝利数順に並べると吉村、大西広樹(中継ぎで9勝)、高橋奎二(8勝)、小澤怜史(6勝)。4人は奇しくも1997~98年3月生まれの同学年だ。高卒、大卒でプロの門をくぐった者、社会人を経た者、戦力外通告からの移籍を経験した者……それぞれがさまざまな道を歩みいま、同じチームでプロとして戦い続けている。運命は不思議だ。 今年のドラフトでも何人もの選手が「指名漏れ」の悔しさを味わった。吉村は言う。 「生かすも殺すも自分次第。その瞬間は辛い思いをするかもしれないけれど、それをプラスに変えるのは自分だと思うので、そこが一番大事だと思います。そもそも長い人生を考えれば、本当に一瞬のことでしかない。どういう道を歩んでも、最後死ぬ時に、いい人生だったと思えればそれが一番。僕もその途中段階ですから。まだまだ、何もわからないですけどね」
(「プロ野球PRESS」佐藤春佳 = 文)
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