「名古屋めし」のルーツは…赤みそのせた「ふろふき大根」!?東海道中膝栗毛にも登場、大根と豆みそ、名産品2つをうまく合体【企画・NAGOYA発】
◇第34回「名古屋めしのルーツは!?」その1 名古屋の定番グルメを指す言葉と言えば、「名古屋めし」だ。2001年ごろからその名称が浸透し、みそカツ、きしめん、みそ煮込みうどん、あんかけスパゲティなどがソウルフードとして取り上げられてきた。それでは名古屋めしのルーツと呼ばれる料理は果たして何か? 本紙は大豆を使った赤みそ仕立ての“アレ”と推察する。真偽のほどはともかく、名古屋めしの歴史をひたすらたどってみる。(構成・鶴田真也) ◆【動画】名古屋めしのルーツは 名古屋女子大短期大学部・遠山佳治教授インタビュー NAGOYA発 ◇ ◇ ◇ 名古屋の郷土料理が「名古屋めし」と呼ばれるようになったのは名古屋市を拠点に居酒屋などを経営する「ゼットン」が2001年に東京に初進出した際に同社の稲本健一社長が情報誌の取材で、名古屋独自の料理をひと言で表す言葉として発案したのが始まりといわれている。 もちろん、それまでにきしめん、ういろう、みそカツ、みそ煮込みうどん、ひつまぶしなど他の地方にはない独自の料理や食材が存在した。それでは「名古屋めし」のルーツは、どこまでたどることができるのか。 東海地方の食文化史に詳しい名古屋女子大短期大学部の遠山佳治教授は、名古屋めしの先駆けとなったものとして戦国時代の尾張大根を使った料理と指摘。赤みそとして知られる豆みそを使った大根のみそ煮などが当時から食されていたとし、代表的なものとして「ふろふき大根」などが挙げられるという。
「いくつもルーツはあるとは思うが、江戸時代に流通した尾張大根と、八丁みそを中心とした豆みその組み合わせが大きい。ふろふき大根などがそうではないか」 現在の愛知県清須市などが産地だった尾張大根の一つである「宮重大根」は尾張藩から徳川将軍家へ献上されるほど有名で、京都の聖護院大根や東京の練馬大根のルーツにもなっているという。江戸末期ごろに刊行された地誌『尾張名所図会』にも特大の宮重大根が並ぶ青物市の様子が描かれている。 「ふろふき大根の味付けに使われていたのが豆みそ。豆みそは奈良時代から尾張で生産されていた重要な産物の一つ。2つがうまくドッキングした料理といえる」。ふろふき大根など大根料理は戦国時代の豊臣秀吉も食していたという伝承も残っており、江戸時代の文献には故郷中村郷の大根やゴボウを年頭の祝儀として献上させようとした記録がある。ちなみに1589(天正17)年の『多聞院日記』に「ヲワリ大根」の記載がある。 農水省のウェブサイトには「うちの郷土料理 次世代に伝えたい大切な味」としてふろふき大根が愛知県の料理として紹介されている。同サイトでは京都府の郷土料理にもなっているが、こちらは聖護院大根に甘い白みそにユズの果汁を入れた「柚子(ゆず)みそ」が添えられた料理だ。 ふろふき大根のネーミングは江戸時代につけられたとみられるが、『たべもの起源事典』(東京堂出版)によると語源は「伊勢の風呂吹き」から来ているという。室町後期に著された武田氏の軍学書の『甲陽軍鑑』には「伊勢国の人は、熱い蒸し風呂が好きで、垢(あか)をとるのに身体に、フウフウ息を吹きかけていたとある」とし、「のちに、風呂吹ダイコンとは、熱いダイコンを、フウフウ吹いて食べるさまが、伊勢の風呂吹に似ているとされる」。東海地方とのつながりがある料理であることを推察している。 江戸後期の滑稽本で、「弥次さん、喜多さん」の珍道中としても知られる十返舎一九の「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」にも桑名(三重県)に向かう七里の渡しで宮重大根のふろふき大根を熱田神宮の柱に見立てる記述があり、熱々の食べ物と熱田をもじっている。 みそは米みそ、麦みそ、豆みその3種類に大別される。大豆に米こうじを加えて作ったのが米みそで、大豆に麦こうじを加えたものを麦みそ。赤みそと呼ばれるのは大豆を主原料とする豆みそのことで、全国的には東海地方だけで生産されている。奈良・東大寺の正倉院の古文書にある尾張国正税帳には、税金として「未醬(みしょう)」が徴収されていた記録がある。西暦730(天平2)年のことでこれが豆みそを指すという。