名古屋がJ2降格! 復帰した闘莉王の来季はどうなる?
昨年11月7日。甲府に勝利した後のホーム最終戦セレモニーで、キャプテンを務めていた闘莉王はマイクを通してこんな言葉をスタンドへ届けている。 「たくさんの噂が流れていますが、僕たち選手は何ひとつわかっていません」 当時GM補佐を務めていた小倉隆史氏が監督に就任し、しかもGMをも兼ねるというスポーツ紙の報道に対する精いっぱいの抗議。名古屋のレジェンドとはいえ、指導者経験のなかった小倉氏に指揮を任せ、監督を評価するGMも務める異例の人事は、フロント内の主導権を争う派閥抗争が反映されていた。 結果的に小倉前GM兼監督は17戦連続未勝利というクラブワースト記録という泥沼にあえぎ、8月23日に事実上の解任を告げられた。それまでの26試合で勝ち点を「1」でも積み上げていれば残留を果たせた非情な現実と向き合いながら、闘莉王はたましても自らを責めた。 「振り返れば去年挨拶したときに、こうなることを予想していたなかで、実際にそうなってしまったことに対して自分も反省する部分がたくさんある。みんなで手をつないで同じ方向へ向かっていかなきゃいけないのに、後ろへ引っ張られていたような感じがしていたわけですから。素晴らしいサポーターたちを悲しませるのは、本当に辛いこと。本当に強いグランパスをもう一度作るためには、チームに関わるすべての人間が手を取り合いながら、同じ方向へ進んでいくこと。そうなることを望んでいる」 必要とあれば歯に衣着せぬ発言も辞さない闘莉王の存在感の大きさが、小倉新体制に決して好影響を与えないと判断されたのか。今シーズンへの契約がまとまらなかった闘莉王は、6年間在籍した名古屋を退団して故郷ブラジルへ戻り、来シーズンからの復帰を目指して自主トレを積み重ねていた。 そこへ小倉氏からバトンを引き継いだ、ボスコ・ジュロヴスキー新監督から緊急の連絡が入る。ヘッドコーチとしてストイコビッチ体制を支えた新指揮官は2013シーズンオフに退団した後も、個人的に闘莉王と懇意にしていた。 残留を果たすための切り札として、復帰してほしい――。受話器の向こう側から届いたSOSは、闘莉王をして「いろいろなものを捨ててでも帰ろう」と決断させるのに十分なものだった。