[三山ひろしさん]NHKのど自慢で「鐘二つ」、上京すると「ばか野郎」の洗礼…運命を変えた出会いとは?
ウェルネスとーく
三山ひろしさんは、28歳で歌手デビューを果たしました。子どもの頃からあこがれた職業でしたが、一度、挫折してあきらめたことがあるそうです。再び、夢に向かって突き進もうと思い直したきっかけは、ある人の言葉だったといいます。(聞き手・道丸摩耶) 【写真4枚】2006年の「第22回 日本アマチュア歌謡祭」で最優秀歌唱賞を受賞する三山ひろしさん
――小さい頃から歌が好きだったのですか。 歌い始めたのは3歳ごろです。一緒に暮らしていたおばあちゃんが演歌好きだったので、三橋美智也さんや春日八郎さんといった昭和30年代の歌を聞いて育ちました。当時はどこに行ってもカラオケの機械があって、流行歌でなく往年の名曲を歌う3歳の子どもは、地域のカラオケサークルやお祭りで引っ張りだこです。歌い終わると拍手喝采、ちり紙に500円玉や100円玉が入った「おひねり」がポーンと飛んでくるんですよ。 自分がステージで歌うと皆が笑顔になってくれる。歌うことで皆を幸せにできると知り、これを仕事にしたいと思いました。その夢をかなえて歌手になれた今、この仕事は天職だと思っています。でも、実は一度、夢をあきらめたことがあるんです。 ――何歳の時ですか? 18歳です。(地元の)高知で行われた「NHKのど自慢」に出場したんですが、結果は鐘二つで……。こんなんで歌手になれるわけがないと夢をあきらめました。 ――相当ショックだったんですね。 それまでいろいろな大会に出て、賞をもらったり商品をいただいたりしていたので、絶対に合格できると天狗(てんぐ)になっていたんです。その鼻をパキッとへし折られました。当時は音楽を聞くのすら苦痛になり、もちろん歌うのもきっぱりやめて、地元のガソリンスタンドで社員として働き始めました。 ――そこから再び、歌手を目指したきっかけはあったのですか? 音楽と離れて1年くらいたった頃、おばあちゃんに「あんた、もう一回やってみんかね」と言われ、詩吟教室に連れていかれました。僕は「やらん」とかたくなに断ったんだけれども、習うことになってしまい……。ところが、詩吟が上達していくと、演歌を歌いたい、歌手になりたいという自分の夢がまた強くなっていったんです。 ――違う道を進んだことで、本来進みたかった道が見えたんですね。 「30歳になるまでに演歌歌手になる」と目標を決め、もう一度、演歌歌手を目指すことにしました。鼻をへし折られた「NHKのど自慢」にもまた出場し、今度は土佐清水市大会のチャンピオンになり、東京で行われたチャンピオン大会にも出場できました。 でも、そうやって全国大会に出たりオーディションを受けたりすると、そのたびに高知から東京までの旅費がかかります。週1回の休みを船の積み荷運びなどのアルバイトにあてましたが、金銭的に苦しく、上京しようと決めました。25歳の時です。