誰もが「プロは無理」から“奇跡”のドラフト6位…大学は推薦漏れ→BCリーグ挑戦で掴んだ夢 阪神・湯浅京己(25歳)「遠回りの野球人生」
「1年でプロに行く」宣言を現実に
聖光学院時代の湯浅を知る誰もが、「プロは無理だろう」と思っていた。それが富山に入団したことで、潮目が大きく変わった。ドラフトの話題がちらつき始めた頃、湯浅は斎藤にこんな期待感を伝えた。 「伊藤監督には、体のことを考えてもらいながら大事に育ててもらえています。秋のドラフトでは指名される可能性が高いみたいです」 18年10月のドラフト。湯浅は阪神から6位指名を受け、「1年でプロに行く」という公約を果たしたのである。 念願のプロ入りはゴールではなくスタート。それは、誰にだって言えることだ。 だが湯浅の場合、ここに至るまでに野球ができる尊さを重く受け止めることができた。そこで培った前向きさと意志の強さは、プロとなっても湯浅の血肉として息づいている。 1年目に腰椎を疲労骨折してから3年間、故障と向き合ってきた。4年目に最優秀中継ぎのタイトル、そして5年目には日本代表としてワールド・ベースボール・クラシックの世界一と、それまでの苦難は報われた。だが、それでもなお、神様は黄色靭帯骨化症という試練を与える。 湯浅は涙に暮れた原点を思い出す。そして、悲劇を力に変え、前へと進む。 手術をした今年の8月。湯浅は甲子園出場を決めた聖光学院に野球道具をプレゼントした。そこには、チームへの激励とともに、今の自分の想いも込められているのだという。 湯浅は「後輩たちに伝えてください」と、岩永にこんなメッセージを贈っている。 「今年は甲子園のマウンドに立てなくてチームに貢献できず、めちゃくちゃ悔しく、歯がゆい思いをしてきました。そんななか病気がわかり、手術をすることになったところで母校が甲子園を決めてくれました。タイガースのホームで自分の分まで躍動してほしい、暴れてほしい。この想いを伝えてください」 ほとばしる情熱に触れた岩永は、「どこまで前向きなんだよ! ってくらい前向きですから」と、愛弟子の歩みに目じりを下げる。
【関連記事】
- 【写真で比較】「えっ、いまと全然違う…!」フォームも線の細さもまるで別人…?“マネージャー”だった聖光学院高時代の湯浅とドラ6入団→大活躍の阪神入団後の活躍やWBCでの力投の写真も見る(30枚超)
- 【最初から読む】誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
- 【こちらも読む】「阪神1位は“3年後の藤川球児”」「甲子園を沸かせた巨人3位は“順位縛り”がネック?」ドラフト全指名予想《阪神・ソフトバンク・巨人編》
- 【あわせて読む】「正直、ダルさんの後に行くのはヤバいなと」阪神の守護神・湯浅京己が明かすWBC決勝での”密命” 憧れのダルビッシュから受けた影響とは?
- 【秘話】WBC代表・湯浅京己に「もう投げさせへんよ」…藤浪晋太郎も罹った“阪神病”を許さなかった岡田監督の英断《OBエモやんが考える》岡田阪神“強さのワケ”