誰もが「プロは無理」から“奇跡”のドラフト6位…大学は推薦漏れ→BCリーグ挑戦で掴んだ夢 阪神・湯浅京己(25歳)「遠回りの野球人生」
「最短距離でプロに行くために…」
涙に暮れた湯浅が次なる野望を掲げ斎藤に宣言したのは、それから数日後のことだった。 「受かるかどうかわからない試験を受けるくらいなら、もっと目標を明確にしたいんで。最短距離でプロに行くために、自分はBCリーグに挑戦したいと思います」 独立リーグであるBCリーグに入団することができれば、高卒でも最短1年でNPBのドラフトで指名される可能性があるからだった。 「俺の想定を超える提案だった」 湯浅の決断に、斎藤は驚きを隠そうとしなかった。他の大学への進学の選択肢もあるのだと提示しても、「もう切り替えているんで」と信念を示される。 斎藤だけでなく、湯浅がケガで野球ができない時期にマネージャーの役割を与えた部長兼Bチームの監督である横山博英ですら、「プロになりたい気持ちはわかるけど、大学に行って4年間、いろいろ考えてから決めても遅くはないんじゃないか?」とたしなめた。それでも、湯浅が指針を曲げることはなかった。 怪我でプレーができずとも、甲子園で投げられずとも、現実を受け止められるだけの前向きな性格が湯浅にはある。それと同等の熱量でもって彼の根底を支えているものこそが、意志の強さなのである。 学生スポーツの監督という人種は、頭では選手の将来を案じているつもりでも、チームの実績のため、後進のためといった大義名分によって、無意識のうちに進路を押し付けてしまうことがある。しかし、湯浅の固い決意に触れた斎藤は、その進むべき道について翻意させようとはしなかった。 「あいつの話を聞いてたら、『逆にそっちのほうがいいかもしんねぇな』って思えたの。高校時代に怪我していた腰の不安っていうのは完全に拭えていたわけじゃなかったし、2、3年、独立リーグで揉まれれば、湯浅の能力ならプロに行けっかもしんねぇなって」 BCリーグのトライアウトを経て、富山サンダーバーズへの入団を果たした湯浅は、退路を断つように周囲に最短距離を明言した。 「俺、来年(2019年)あたりプロ行くから」 中央学院大に進学した仁平は、湯浅からそんなことを言われ、こう茶化す。 「お前じゃ無理だって。今の俺だって、まだまだお前の球、打てるよ」 「いやいや、絶対に行くから!」 湯浅からすれば、そこには裏付けがあった。大きなところで言えば、18年に伊藤智仁が富山の監督に就任したことである。 自身もヤクルト時代に右肩の故障に苦しめられてきた経験があったことから、伊藤は故障歴のある湯浅の登板には特に気を配った。まず、ピッチングよりも体作りやピッチングフォームの再構築を優先させ、公式戦の登板も球数やイニング数を制限していたという。 その結果、高校で最速145キロだったストレートは、151キロまで飛躍していた。湯浅本人などから報告を受けていた斎藤は、留飲を下げたように言葉を和らげる。 「今だから言えることなんだけど、BCに行って酷使されて、また体を壊すんじゃねぇのかなって不安があったんだ。それが伊藤監督と出会って、能力を引き出してもらって。本当によかったって思ったね」
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