誰もが「プロは無理」から“奇跡”のドラフト6位…大学は推薦漏れ→BCリーグ挑戦で掴んだ夢 阪神・湯浅京己(25歳)「遠回りの野球人生」
今年も大きな話題を呼んだドラフト会議。多くの選手がまばゆいスポットライトを浴びたが、現在のプロ野球界には高校・大学で実績十分の上位指名選手だけでなく“雑草魂”を体現したような選手ももちろんいる。阪神の主力として活躍する湯浅京己もその一人だ。現在は難病からの復帰を目指す名クローザーの「無名時代」とは? 《全2回の2回目/最初から読む》 【写真で比較】「えっ、いまと全然違う…!」フォームも線の細さもまるで別人…?“マネージャー”だった聖光学院高時代の湯浅とドラ6入団→大活躍の阪神入団後の活躍やWBCでの力投の写真も見る(30枚超) 悔しさを右腕に宿す。 これを打ち消すためには、仲間のために1球、1球、全力で腕を振るしかないのだと、湯浅京己は自分に言い聞かせていた――彼のボールを目の当たりにした者たちは、誰もがそのような意志を感じ取っていた。 2017年夏。福島大会で聖光学院の背番号18を付けながら甲子園ではベンチ入りできなかった湯浅は、「最強のバッティングピッチャー」とチームを唸らせるほど豪快に、そして献身的にボールを投げ続けた。 このとき、すでに「4年後」の未来を見据えていた。そして、甲子園が終わって間もなく、第一志望である早稲田大の練習会に参加した湯浅は、ここでも“最強”を披露する。 練習会でのパフォーマンスを知る監督の斎藤智也は、「自分の生徒だからとか、お世辞抜きに圧巻だった」と舌を巻く。 「全国の強豪校から選手が勢ぞろいしたなか、湯浅のピッチングが一番だと思ったね。早稲田さんに『ありだな』って思ってもらえるほどの手応えは俺もあったし、湯浅にも当然あったと思うんだ」
大学のトライアウトで好投も、結果はまさかの…
早稲田大野球部の特別推薦枠はたった数名。聖光学院には、10年春に東京六大学リーグで首位打者となった渡邊侑也や、有原航平(ソフトバンク)らとともに主戦投手を担った横山貴明(元楽天)が、この狭き門を突破した実績がある。いくら湯浅が甲子園でメンバー入りできなかったなど高校時代の実績に乏しいとはいえ、斎藤は力は証明できたと感じていた。 だが、湯浅はその数名に入れなかった。 早稲田大に入るためにはAO入試を受験しなければならなくなったわけだが、斎藤が大学側から聞いたところによると「合格は五分五分」。指導者としては「不合格」のリスクを最優先に考え、「受けるのは自由だけど、入れるかどうかわからない」と現実を知らせるのは、当然の親心でもあった。 甲子園で投げる目標が叶わなかった湯浅にとって、「早稲田からプロに行く」という新たな道は希望であり、今を生きる上でのモチベーションだった。 その実現の可能性が低いと知った湯浅は泣いた。寮の部屋で泣き崩れた。彼の一番の理解者であるコーチの岩永圭司が、「人生、いろいろあるからな。将来を考えられる大学はあるから」と慮る。キャプテンで盟友の仁平勇汰が「次がなくなったわけじゃないんだからさ」と、肩に手をかけ慰めた。
【関連記事】
- 【写真で比較】「えっ、いまと全然違う…!」フォームも線の細さもまるで別人…?“マネージャー”だった聖光学院高時代の湯浅とドラ6入団→大活躍の阪神入団後の活躍やWBCでの力投の写真も見る(30枚超)
- 【最初から読む】誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
- 【こちらも読む】「阪神1位は“3年後の藤川球児”」「甲子園を沸かせた巨人3位は“順位縛り”がネック?」ドラフト全指名予想《阪神・ソフトバンク・巨人編》
- 【あわせて読む】「正直、ダルさんの後に行くのはヤバいなと」阪神の守護神・湯浅京己が明かすWBC決勝での”密命” 憧れのダルビッシュから受けた影響とは?
- 【秘話】WBC代表・湯浅京己に「もう投げさせへんよ」…藤浪晋太郎も罹った“阪神病”を許さなかった岡田監督の英断《OBエモやんが考える》岡田阪神“強さのワケ”