『Zガンダム』カミーユの運命を変えた分岐点…テレビ版と劇場版はなぜ「結末」が違ったのか
■多くの死を目の当たりにして、能力も覚醒
第49話では、これまでともに戦ってきた「カツ・コバヤシ」「ヘンケン・ベッケナー」といった仲間たちが次々散っていく。そして、絡んできたジェリド・メサをあっさり葬ったカミーユは「こんな死に方、誰が喜ぶんだよ」と戦場で咆哮し、ビームライフルを乱射した。 この時点ですでにカミーユは正常な判断力を失っている節があり、宇宙空間でパイロットスーツのバイザーをあげるという異常行動をとる。慌ててエマ・シーンに止められ「自分が何をしたか分かってるの?」と指摘される一幕も印象的だった。 その後もレコア、エマといった親交の深い女性たちが次々と戦死し、彼の心にさらなる追い打ちをかけていく。 カミーユのメンタルが限界を迎えようとしているのと対象的に、彼のニュータイプとしての素養はますます覚醒していく。多くの仲間を倒した「ヤザン・ゲーブル」が乗るハンブラビとの戦闘では、カミーユが乗るZガンダムは超常的な力を発揮し、通常より何倍にも伸びたビームサーベルによってハンブラビを両断した。 そして最後は、死者たちの力を借りるようなかたちで、シロッコのジ・Oを撃破したカミーユ。彼の断末魔とともに、ついにカミーユの精神は限界を迎えてしまうのだった……。
■テレビアニメとはまったく違う…劇場版でカミーユが迎えた結末
一方、劇場版『機動戦士ZガンダムIII A New Translation 星の鼓動は愛』は“新訳Z”を謳っているだけに、テレビアニメ版とは異なるラストシーンが描かれている。 たくさんの仲間を失ったカミーユが、シロッコのジ・Oと激闘の末に勝利をおさめるところまでは同じだが、彼は無事に帰還を果たし、ファと抱き合うという結末を迎えた。 そこに至るまでの違いとして挙げられるのは、テレビアニメ版からカットされたシーンの存在だ。劇場版のファは、カミーユの恋人的な存在として描かれており、テレビ版第48話で「元通りにはならない」といったふたりの決別を感じさせるようなシーンは存在しない。 それにカミーユがロザミアを断腸の思いで撃つ展開もカットされ、「(ニュータイプに)できることといったら人殺しだけ」という危険な思考に染まることもなかった。 そのためか、テレビ版と比べると劇場版のカミーユは終始落ち着いているようにも見える。 劇場版のカミーユは怒りの感情に任せて敵を討つのではなく、愛する者を守るために戦い、その人のところに帰ることを目的としていたように思えた。だからこそ、カミーユの心は最後まで壊れることなく無事だったのではないだろうか。 このように「最高のニュータイプ」カミーユ・ビダンがテレビアニメ版と劇場版で迎える結末の違いについて比較してみた。劇場版では重要なシーンが多数カットされ、ほかにもさまざまな部分がテレビアニメ版と異なるため、賛否両論あるのは当然なのかもしれない。だが個人的には、ラストシーンでカミーユの心が守られた点にはものすごく救われた気がした。
クロハチ