「考えることをやめたらあかんのちゃうか」川上未映子さんのある本をいつも「おせっかい配付」しているわけ【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「平等の一画目」です。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし 私の周りにはすばらしいお子たちがたくさんいる。 みんなのびやかで溌剌としていて、この世界のあらゆることに「はじめまして」をしている姿を母になった友人たちと見ていると、愛おしさ1000%なのだけど、そんな風景を見ていると思い出す、私が全人類に読んでほしいと思っている一冊があるのです。 それは川上未映子さんの「きみは赤ちゃん」という川上さんご自身が妊娠、出産して育児をする過程で起きた様々な体や気持ちの変化、あらゆる選択についての葛藤、極厚の経験をものすごく詳細に、正直に、ユーモアを交えて綴ってくださっているエッセイで、「この世界に存在している人間はみんな女性の体から生まれてきたんや」という当然やけど、ものすごすぎる事実に果てしない気持ちになり、「宇宙」という二文字が頭の中を衛星の軌道でまわりながら「母とはまじ神」とつぶやき、私は読み始めて2ページ目で電車の中でぼろ泣きした。 代官山 蔦屋書店のトークショーでその話をしたときに、書店員さんが用意してくださった「きみは赤ちゃん」をたくさんのお客様がご自宅にお持ち帰りしてくださったわけだけど、のちに読者の方々から「2ページ目のどこで泣いたのか全くわからなかった」というご指摘を受けまして、自分の感受性の独特さに気づきましたが、とにかくほんまに名著なのだよ! 本気で「この世に生まれし、生きとし生ける全人類に読んでほしい!」と思っている一冊なのですが、それはなぜかというと、女性の体の変化について私は知らないことが多すぎて、今までほんまにごめんなさい! と思ったから。 私は男性の体で生まれ育ってきて、自分の体とは違う女性の体について学ばなきゃいけないし知らないといけないわけだけど、私が通っていた当時の学校での教育では、ごく表面的というか、「それはもう知っている」というような体の仕組みや、どうやってこどもができるのかというようなことしか教わらなかった。 そうなると、生理による体調の変化やPMSのことや、ピルやアフターピルのことなどは割と各自で能動的に情報を収集しなければ知り得ないわけで、体が違うということは体感の仕方も違うはずだから、同じ「痛い」とか「つらい」ということばで感覚を表現していてもその感じ方を自分の体感と同じだと思ってはいけないこと。体調の変化やリズムなど、全てにおいて違いがあるし、わからないからこそ多めに想像することを意識して女性の体である相手と関わってきたつもりだったけれど、そんな私の自学やちっぽけな想像力なんて全然足りていなかった。 妊娠や出産においての体や気持ちのものすごすぎる変化は未知と驚きの連続で、読みながら猛反省したのでした。 正直に言うと、男性の体で生きていくのって、私にとってはめっちゃイージー。体調や体の変化も、女性の生理や妊娠や出産に比べたらほとんどないに等しいし、病気や持病や老化をのぞけば男性としての体の変化ってホルモンの乱れなどはあるものの、生涯ほぼ凪。 社会の構造や制度、街や建物のつくりやルールも、男性として生きているとほとんどなにも引っかかるところがない。楽ちんすぎる。そのことに疑問を持とうと思わなければ気がつかないぐらい、うまくいきすぎている。 あるとき、母になった友人とお子と一緒にいるときにベビーカーを押していたら、今度お芝居で使おうと思うぐらい見事にお顔に「邪! 魔!」と書かれてある表情をされている人と何人も遭遇し、ある人は「ちっ」と舌打ちをして私たちと通り過ぎたりして、「嘘やろ」と絶句していたら、友人母いわく、「こんなんまだましやで。この前はベビーカー蹴られたからな」と真顔で言い放った。ほかの友人母たちからも「こどもが大きな声をあげたら怒鳴られた」とか、「妊娠中に電車の中で席をゆずられた回数なんて片手で全然おさまる」とか、”殺伐”ということばが頭をよぎって音を立てて崩れ落ちていくような嘘みたいな話がごろごろ出てくるわけやけど、そこに登場する人たちはみんな、きっと「きみは赤ちゃん」を読んでないんやと思う。 女性の体の変化について、妊娠出産育児がどれだけの神業なのかということを無知なんやと思う。もし自分が母の立場やったらどう感じるやろうとか、自分がもともと赤ちゃんだったこととか、こどもだったこととか、誰かに育ててもらったこととかを忘れてしまっているのかもしれない。 もしかしたら、その時ものすごくしんどいことがあって限界の状態だったゆえの行動だったのかもしれないけれど、母の方だって限界はとうに突破しているわけで、理由がどうであれ、こどもや母親や妊娠されている方に対して嫌悪感丸出しの行動をとってもいい人なんてこの世に誰一人いないと私は思う。そして、その人たちがしんどい人たちなんだとしたら、その数が多すぎる。みんな疲れすぎている。電車の中にいる人の10割がマタニティマークや妊娠している方に気がつかないほど、気づいていても立ち上がれないほど疲れる社会なんておかしすぎる。
坂口 涼太郎