加藤シゲアキさん「戦争の中でも人が生きていること、忘れない」 秋田の空襲描いた小説「なれのはて」、執筆に覚悟【つたえる 終戦79年】
アイドルグループ「NEWS」のメンバーとしても活動する作家の加藤シゲアキさん(37)は、日本最後の空襲の一つとされる秋田市の土崎空襲をテーマに据えた小説「なれのはて」を2023年に出版した。戦争を扱った作品を執筆するまでの経緯や葛藤、平和への思いを語ってもらった。(聞き手 共同通信=上脇翠) 【写真】「今も無戸籍のまま暮らす戦争孤児がいるみたい」88歳の女性から、ある信じられない話を聞いた 橋の下で大の字になって寝ている、高齢の男性に近寄ると…
▽出生地の広島への思い、物語にする難しさ 広島で生まれ、幼少期に大阪へ引っ越したんです。戦争とは違うかもしれませんが、そこで阪神淡路大震災を経験し、当たり前の日常がすごく尊いものだと思った記憶があります。 広島で過ごしたころのことをあまり覚えておらず、「広島だから」と仕事をもらうことに罪悪感があったため、デビュー後はあまり出生地について言っていませんでした。 しかし、「それでもいい」と広島の方からオファーをいただき「僕にも力になれることがあるのだ」という考え方にだんだん変わっていきました。 広島での仕事で、被爆者の話を聞く機会が増えていったことや、年齢を重ねたことで、次第に戦争が遠い話ではないと実感するようになりました。 作家として広島に呼ばれ「いつか広島をテーマに戦争の話を書いてくださいよ」と言っていただくこともありましたが、原爆については既に幅広く作品が発表されており、物語にする余白を探し出すのは難しいと感じていました。
一方で、戦争は広島や長崎の原爆や、東京大空襲など、多くの人が知っている場所だけでなく、日本中であったのではないかと考えるようになりました。 父方の岡山の祖父が予科練に入っていたことは聞いており、エッセーで書いたことがありました。書いていなかったのは、母の地元の秋田。親族に戦争の話を聞くのは、なかなか難しいと感じており、「作品を書くから」という理由があれば、話すきっかけになるとも思いました。 ▽戦争をコンテンツにする悩みと作家としての覚悟 軽い気持ちで、「秋田 空襲」などとインターネットの検索窓に入れて調べてみると、日本最後の空襲の一つとされる土崎空襲が表示されました。 1945年8月14日深夜から翌15日未明まで、秋田市の製油所を中心に続いた空襲です。読んだ瞬間に「あと1日早く降伏していれば」と思い、物語になると感じました。 石油に由来する空襲で命が失われたということは、そこには人々の引き裂かれた思いがあるんですよ。石油があったからこそ地域は潤ったけれど、その一方で失うものも大きかった。僕が小説で書こうと思うのは、そのような人々の引き裂かれた気持ちなんです。