乙武洋匡&三浦瑠麗“公教育”の課題を考える…三浦「本当は“公立の教育の質が高い”っていうのが理想」
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、乙武洋匡さんと三浦瑠麗さん。ここでは“今後の教育”について語り合いました。
◆三浦「普通の公立校なんだけど…」
乙武:選挙(衆議院東京15区補欠選挙)が終わって何をしようかと考えたときに、自分がいま何に関心を持っているのかを改めて考え直す必要があると思って。そのなかで大きくあったのが“教育”なんだよね。 三浦:今の行政に異議がある点のなかで、一番大事なところを挙げると何? 乙武:“公教育”でいうと、「公」って名前がついている以上、すべての子どもたちを包摂していなければいけないはずなのに、“学校”という組織になじむ子どもしかカバーできていない点、これがやっぱり一番の問題かな。 約30万人といわれている不登校の子たちに対して「フリースクールに行くなら、家庭のお金でどうぞ」っていうのが現状で、公教育としては何もできていない。“それって公教育って言えるの?”って。 三浦:そうね。間尺に合わないものを排除することで成り立っているところはあるよね。ただ、私の娘がちょうど中学生になって、うちは公立1本なんですけど、思ったよりも教育がすごく良かったの。 全部が賛成ってわけではないんだけど、“私が子どもの頃って、こんなに歴史の教育を教えてくれたっけ?”って思うくらい、先生たちがすごく頑張って考えて(授業をしている)。単に暗記させるだけじゃなく、物事の成り立ちから教えようとしているんだなって思ったのね。 乙武:うん。 三浦:東京都が本来理想としている“教育のあり方”っていうのは、単にテストの知識じゃなくて、“構造を理解しているから、この問題に答えられます”っていう話じゃない? だから、親御さんが“学校の予習・復習さえできていれば大丈夫”と思えるような教育を提供できているのか? っていうのはちょっと思ったよね。提供できていればいいけど、親としては、より充実した教育を受けさせたいと思うじゃない? だから本当は“公立の教育の質が高い”っていうのが理想だよね。 乙武:そこは今までもずっと言われていることで。経済格差が学力格差に結びついてしまって、その結果、親の経済力が子どもの将来の経済力に直結してしまう。 これを本来は、公教育がリセットする機能を果たさなければならないのに、データで見ても、ここ数十年はリセットできていないどころか、その関係性が硬直化してしまっている。これが、なかなか公教育がうまく機能していない理由だと思うし、だからといって(公立校で働く)先生たちが悪いのかと言ったら全然そんなことはなくて。 瑠麗さんが言ってくれたように、現場の先生方は本当に一生懸命頑張ってくれているんですけど、この国は教育に予算を使っていないから、教師に押し付けらるものがあまりにも大きすぎて無理ゲーになってしまっている。 だから、今の優秀な学生さんで教師を目指す人がほとんどいないし、現場の先生たちも、バケツの底が抜けたかのように次々と辞めていくから、本当に先生が足りていない。地域によっては、副校長先生が担任を持っているようなところもあるぐらいで“これ……どうするんだろ?”って思う。 三浦:豊かな都市ほど、本当は公的なものが充実しているべきだと思うよね。 (TOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」放送より)