俳優・中村優子、0歳の娘に叩きこまれた「人生はアドリブの連続」 仕事観にも変化「子どもとの時間を割いてまで、この作品をやりたいのか?」
役者の糧にと「能」の世界へ
現在、映画『箱男』が公開中。カメラマンの男(永瀬正敏)は、ダンボールを頭から被り、一方的に世界を覗き見る“箱男”に心を奪われ、自らも箱男としての一歩を踏み出すことになるが、数々の試練と危険が襲いかかる…という展開。 この映画は、1997年に映画の製作が決定し、スタッフ、キャストが撮影地のドイツ・ハンブルグに渡ったものの、クランクイン前日に撮影が中止になってしまった幻の企画が27年の時を経て実現したもの。 「この作品に参加できるということが奇跡のようでした。『箱男』がまた始動したというニュースを知って、一映画ファンとして必ず劇場に行こうと思っていたんです。 監督が石井岳龍さんで、主演は永瀬正敏さん。そして浅野忠信さんに佐藤浩市さん。日本映画を牽引し続けていらっしゃる憧れの先輩方。公開を楽しみにしていたら、キャスト候補になっていると伺って、本当に驚きました。 原作を最初に読んだのが20歳くらい。当時のカオスなイメージしか記憶に残っていなかったので、もう一度原作を読み返したら、現在のネット社会の預言書のようで。とても衝撃を受け、夢中で読みました。 女刑事は原作にない役だったのですが、妄想世界の中のキャラクターで。これは本当に石井さんの映画でしか存在し得ない役です。私はなんて幸運なんだろうと(笑)。 妄想の中の登場人物だからこそ、どんな居方が求められているのか、というのがまず気になって。石井さんからは『フェイクだけど、あくまでもリアルに。リアリティを持ったお芝居をしてください』とのリクエストをいただいたので、警察関係のドキュメンタリー番組などをたくさん見て参考にしました。 いろんな世界を知ることができるというのは、すごく貴重ですよね、おもしろい。この仕事の醍醐味だと思います」 ――『箱男』は、27年前にスタッフ、キャストがドイツに集合し、明日クランクインだという前日に撮影中止になったそうですね。 「はい、そう伺っています。そのときの皆さんの無念たるや…胸が痛みますね。でもそれが時を経て、当時よりも格段に“箱的社会”となった2024年に公開されるという巡り合わせ…。『箱男』のドラマチックな運命に拍手を送りたいですね」 2024年、4月~7月に放送された『燕は戻ってこない』(NHK)に出演。このドラマは一生懸命働いても月収14万円で貧困生活から抜け出せない29歳のリキ(石橋静河)が、さんざん迷った末に高額な謝礼と引き換えに、元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻・悠子(内田有紀)の代理出産を引き受けることにするが、さまざまな予期せぬ出来事が…という顛末を描いたもの。 中村さんは悠子の親友でリキをアシスタントに雇い、自身が所有する屋敷(シェアハウス)に住まわせてあげる春画画家・寺尾りりこ役を演じた。 「撮影に入ってほどなくして、りりこは原作者である桐野夏生さんのお気に入りのキャラクターだと、人伝に耳に入りまして。『ええ!どうしよう!』と。でも、プレッシャーを感じようが感じまいが、結局は私の“りりこ”しかできないなと、腹を括(くく)ってどうにか雑念を払いましたね(笑)。 劇中では強く印象に残っているセリフがふたつあって。ひとつは、3話での居酒屋のシーンで『自分は家族制度から抜け落ちるアンチだから、こういうアンチ人間が世の中の常識に疑問を投げかけていかないと』という悠子への言葉。それにすごくドキッとして。 りりこや『ユンヒへ』のジュンのように、“普通”から外されてしまった人は、生きていくなかでアイデンティティを揺さぶられ、常に自分自身の視点を意識せざるを得ないわけで。 では、マジョリティ側の人間はどうかと。もしかしたら、多数派であることに安心し切っていろんなことを見落としているかもしれない。ハッとしました。このセリフはこの先もずっと忘れちゃいけないと。 もうひとつは『私の絵は誰かのために描いているのではない』というセリフ。これはもう、自分の心を代弁してもらったようでしたね。私自身、演じるということをかつて誰かのためにやったことがなくて。 そもそも『なぜ私は、お芝居をするのか?』『なぜ私はこの物語に、この役に惹かれるのだろうか?』と。わからないから、それが知りたい。演技という手段を通して、人生を知りたいのかもしれません」 ――中村さんは、「能」もやってらっしゃるのですか? 「はい。早いもので、もう20年続けています。大学を卒業する頃から、役者の糧になるような、それも身体表現的なものを何かひとつやりたいと思っていたんですね。 それで、日本舞踊の見学に行ったりとか、色々なダンスのクラスをちょこちょこ覗いていたんですけど、なかなか出会いがなくて。 そんなときに、フランスでコーポリアルマイム(役者の身体表現を追求したフランス発祥の表現形式)の勉強をしていた友人が、帰国してから『能』をはじめたと聞いて。彼女の話しぶりからすごく『能』に興味がわいたんです。それで、ちょうど彼女の師匠の舞台があるから見に行かないかと誘われて。その舞台で、雷に打たれました。『これだ!』と。 師匠は、金剛流の宇高通成先生という、国の重要文化財(重要無形文化財総合指定保持者)の方だったんですね。でも、何もわかっていない私は、抑えきれない情熱で押し掛け弟子入りを果たしました(笑)」 ――いきなりそういう方はなかなかいないでしょうね。 「先生はおもしろがってくださったのかなと思います。私は普段、優柔不断な面も多々あるのですが、『これだ!』というものがあると、大胆かもしれませんね。 空の状態でその場に立つこと、自我から自由になること…まだまだ未熟ですが、お能から受ける影響ははかりしれず、あのとき直感に従った自分を褒めてあげたいです(笑)」 端正なルックスに加え、万全な準備と大胆な決断力も魅力。今年は『箱男』のほかに『碁盤斬り』(白石和彌監督)、『彼方のうた』(杉田協士監督)、『違国日記』(瀬田なつき監督)がすでに公開。中村さんにはスクリーンが良く似合う。(津島令子) ※河瀬直美監督の“瀬”は旧字体が正式表記 ヘアメイク:風間啓子