俳優・中村優子、0歳の娘に叩きこまれた「人生はアドリブの連続」 仕事観にも変化「子どもとの時間を割いてまで、この作品をやりたいのか?」
「子ども産むぞ!」というセリフが予言に?
2012年には『ギリギリの女たち』(小林政広監督)に出演。この映画は、東日本大震災を機にニューヨークでダンサーをしている長女・高子(渡辺真起子)、東京で暮らす主婦で次女の伸子(中村優子)、1人で家を守り続けていた三女の里美(藤真美穂)が再会。3姉妹それぞれ互いに傷つけ合いながら、思いをぶつけ合うことに…という内容。 ――全編わずか28カットで、冒頭35分間がワンカットで撮影でしたね。 「撮影中はそこまで意識していなかったんですが、今振り返るとすごいですよね。ずっと小林さん(監督)の作品に出演したかったので、機会をいただけてとてもうれしかったです。 小林さんの現場はすごい緊張感があるんです。ワンカットだからこその緊張感というわけでもなく、常にピンと張り詰めている。それは役者にとってはすごく気持ち良かったりもするんですが。空気までもが研磨されるような、自然と背筋の伸びる、そんな現場でした」 ――3姉妹みんなそれぞれ痛み、問題を抱えていて。 「そうですね。3人が3人とも、それぞれ人生に傷を負っていて。震災で深い傷を負った故郷に、吸い寄せられるように帰ってくるんです」 ――「子ども産むぞ」というセリフの通りにお子さんをご出産されて。 「そうなんです。ちょっと予言みたいなタイミングで実際に出産しました(笑)」 ――お子さんができて変わりました? 「はい。変わらざるを得なかったです。たった今静かに寝ていたと思ったら、泣いてお呼び出しの繰り返しで。まず、自分の食事なんかは、わずかなチャンスを狙ったスピード勝負でしたね(笑)。立ったままなんてこともしょっちゅう。 『水が飲みたい』『トイレに行きたい』というような細々した欲求は、ことごとく跳ね返される日常で。人生は予定通りにはいかない、アドリブの連続だと、0歳の娘に叩き込まれました(笑)。 忘れられない記憶があるんです。ある日、小さな我が子を見て、急に『取り返しのつかないことをしてしまった』と感じて。それはもちろん後悔ではなく、おそらくは自分の命よりも大切なものがここにいるという事実が、怖くて、怖くてたまらなくなったんです。 でも、そんな大切なものがこんなにも頼りなげな生き物で。この小さな命の、はかりしれない大きさを思って、愕然としました。でも同時に、『可愛いけど、何だこの変な宇宙人は!?』みたいな、今の状況をおもしろがれる自分もいて(笑)。ジェットコースターみたいな日々でしたね」 ――お仕事はセーブされたりしていたのですか? 「いいえ、そもそもそんなにたくさんお仕事をするタイプではなかったので。ただ、どうしても現場に入ると子どもといられる時間が少なくなるので、『この子といる時間を割いてまで、私はこの作品をやりたいのか?』というハードルは上がりました」 2019年には映画『ユンヒへ』(イム・デヒョン監督)に出演。この作品は、韓国と日本に生きる2人の女性が心の奥に封じてきた恋の記憶を叙情的に描いたもの。 中村さんが演じたのは、韓国でシングルマザーとして高校生の娘・セボムと暮らすユンヒ(キム・ヒエ)と20年前に恋をして、現在は日本で伯母(木野花)と暮らしているジュン。かつての母の恋を知ったセボムは、ひそかに2人を会わせようと計画をたてる。 「『ユンヒへ』は生涯の1本ですね。ありのままの自分を尊重して、ありのままの他人もまた尊重する。その尊さを、教えてくれた本当にかけがえのない作品です。 セリフにもありましたが、『どんな形の愛があってもいい』。ジュンを生きることで、その視点をもらえました」 ――ユンヒのセリフに「あとの人生は罰だと思っていた」というのがあって胸に突き刺さりました。どんな思いで生きてきたのかと思うとつらいですね。 「そうですね。当時の社会は、マイノリティの人々にとって息もできないような窮屈な世の中でした。アイデンティティを否定して生きることは、想像を絶する苦しみがあったと思います。 でも、ユンヒの娘であるセボムが、その報われなかった愛を救うきっかけとなって。まさに新しい春が来て、時代が変わっていく希望を感じます。 ちゃんと自分の母を知ろうとする。セボムは、ユンヒを母という役割に閉じ込めないんですよね。逆に、思いがけず知ってしまった、母である前の一人の人間としての彼女を知りたいと思う。セボムには、他者を尊重する資質がすでにあるんです」 ――撮影前にキム・ヒエさんの高校時代のお写真を送ってもらったそうですね。 「はい。20数年前からずっとジュンの心の中にはユンヒがいる。その当時のユンヒはどうだったのか。どうしてもお顔が見たいと思って、韓国のプロデューサーさんにお願いしてヒエさんに高校時代のお写真をいただきました。 そのお写真を見ながら、2人はかつてどんな風に過ごしていたのかなどいろいろ想像していました。今も大事にとってあります」