朝ドラ登場の実業家、大阪経済界の礎築く 鉱山大王の称も 五代友厚(上)
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」でディーン・フジオカが、五代友厚(ごだいともあつ)を演じたのを機に、大阪経済の礎を築いた功績とその生涯が注目されはじめました。一時、大阪では五代のゆかりの地をめぐるツアーなどが企画されるほどの人気がありました。 しかし、五代の活躍した時代は、東京の渋沢栄一、岩崎弥太郎ばかりが注目されていて、五代の知名度はいまひとつ。その実情に苛立ちを感じていた人もいたそうです。51年で生涯を閉じた実業家の最盛期を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
五代友厚なくして、今日の大阪の隆盛は語れず
小説『夫婦善哉』で知られる織田作之助は五代友厚のことを再三書いている。五代といえば5代目大阪府知事か商工会議所の5代目会頭くらいにしか思っていない人がかなりいる実情に歯ぎしりしながら五代の業績を書きまくった。織田は『大阪の恩人』の中でこう述べている。 「渋沢栄一は記憶されている。喧伝されている。が、明治実業界の指導者としての五代の活動は、渋沢と並ぶくらいであり、いや彼は幕末維新の志士として渋沢などが足元にも寄れぬくらい活躍した。重きもなした。この点、五代は明治実業界中ただひとりである。もし彼が明治初年の大阪の経済界を指導しなかったとすれば、私たちは今日の大阪の隆盛をみることができたかどうか」 五代は渋沢栄一と並称されたり、岩崎弥太郎とも比肩されるほどの実績を残しながら世間が忘却していることが織田には我慢ができず、五代賛歌を謳い続ける。 大阪商工会議所前庭の五代の銅像が立っているし、大阪証券取引所玄関前には大きな立像がそびえている。織田は「銅像の前を通りかかっても、それを五代だと言える人は100人に1人もいない」と無念そうに語るのは80年も前のことだが、21世紀の今日、果たしてどうだろうか。 大阪商人史にくわしく宮本又次が五代の商才について極めて具体的に書いている。 「五代の拡げた大風呂敷には見るべきものが多かった。五代は上海との直接貿易を開始せよと強調した。米、生糸、茶、椎茸、昆布、するめ、木材類を上海に向けることの有望さに着目したからで、生糸は江戸の藩邸から手を回して関東産の生糸をことごとく買い占めれば巨利を博すと説き、茶は藩の地味に適しているから大いに植え、紅茶にして売ればよい。昆布は松前、函館から長崎へ輸送して囲っておき、時期をみて上海に回す。三島産の砂糖は天下無比の産物だから、米を売った利益で、製糖機械20台を西洋から買い入れて、白砂糖をつくれば、100万円以上の利益は確実とソロバンを弾いている」(『大阪商人太平記』)