ノーベル賞で「もう一踏ん張り」 広島被団協の理事長が中学生に語る
ノーベル平和賞受賞が決まった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員で、広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)理事長の箕牧智之(みまきとしゆき)さん(82)が10月31日、山口県の山陽小野田市立竜王中学校で被爆体験を語った。「被爆者が生きているうちに、核兵器をなくしてください」と語り、全校生徒や地域住民ら200人余りが聴き入った。受賞決定後の箕牧さんの講演は初めて。 【写真】被爆体験を語る箕牧智之・広島県被団協理事長=2024年10月31日午後1時55分、山口県山陽小野田市小野田、興野優平撮影 米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日当時、箕牧さんは3歳。東京から疎開して現在は広島市の一部となった旧飯室村に住んでいた。自宅前で遊んでいて、あたりがピカッと光ったことを覚えているという。 市内に出勤した父を捜し、母と共に入市被爆した。小学5年の冬に大病をし、学校を4カ月間休んだ。医者には「この子はもう死ぬるかもわからん」と言われたという。 講演では自身の体験のほか、核兵器廃絶を求めて被爆者らが活動してきた軌跡を紹介。2010年に核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれた米ニューヨークを自身が訪れて体験を語ったことや、16年にオバマ米大統領(当時)が広島を訪問したことに言及した。一方、核兵器廃絶について「なかなか実現しない」と危機感をあらわにした。「(政治家たちは)核兵器があるから世界が安全なんじゃという言い方をする。核兵器が世界のどこかで誤って爆発したら大変なことになる」 市では、旧小野田市と市教委が中学校向けに1997年から始めた「平和のつどい」に約20年間、県被団協の前理事長、故坪井直さんを招いてきた。箕牧さんは21年から講師を務める。講演に先立ち「今回のノーベル平和賞を契機にもう一踏ん張りせにゃいけん。あと10年もすれば被爆者が一人もいなくなる日が来る。我々に課せられた大きな宿題は次の世代への継承だ」と話した。 講演後、3年生の岡山新さん(15)は「核兵器はすぐにはなくならないとわかった。一人だけではなくみんなで訴えると、より声が届くと思った」と話した。(興野優平)
朝日新聞社