「俺はさ、バナナをいっきに食べたら簡単に死ぬらしいよ」…透析患者につきまとう「突然死」の恐怖
リン、血管の石灰化
透析生活のリズムがつかめてきたころ、さらなる難題が現れた。ある日、会社から帰宅してダイニングに落ち着いた林が、うかぬ顔で切り出したのは「手術」について。 「今日、透析の後でドクターに呼ばれたんだ。近いうちに副甲状腺を手術しないといけなくなるかもしれないって。首を切って副甲状腺を取り出すんだってさ。もうこれ以上、体をいじるのは勘弁してほしいや」 原因は、カリウムと同じくらいやっかいな「リン」だという。 カリウムが突然死を招きかねないミネラルならば、リンはじわじわと身体を痛めつける。昔話の怪談で墓場のシーンに青白い炎がよく浮かぶが、あの火の玉の正体は、遺体に残ったリンが燃えるものらしい。それほどリンはしぶとい元素だ。 リンは人間のみならず、あらゆる生物の細胞にエネルギーを与える必須ミネラルで、後述するように、ほとんどの食品に含まれている。野菜や果物を育てる際にも欠かせないから、農業をする人にはなじみの肥料のひとつだろう。 健康な人なら、必要以上に摂取したリンは腎臓でろ過して尿として排出できる。透析患者の場合、1回の透析で引ききれるリンは透析前のだいたい3分の2。ということは摂取量が多ければ、リンの血中濃度はだんだん高くなる。 リンの基準値は、健康な人の場合は2.5~4.5mg/dL。透析患者の場合はやや高めの3.5~6.0mg/dLに設定されている。林は最大量のリン吸着剤を服用していたが、リンの値は常に6台後半だった。 血中のリンが増えると、体内のカルシウムがリンと結合する。そのため血中のカルシウムが減少する(低カルシウム血症)。するとカルシウムの濃度を維持しようと、副甲状腺ホルモンが異常に働く。リンが副甲状腺を刺激し続けると、副甲状腺は腫大し、骨からカルシウムを血中へどんどん放出し、骨や歯がもろくなる。 手術は、この副甲状腺の働きを抑えるために行う。喉の前部を切開して副甲状腺を切除。腫大した副甲状腺(通常は4個)を摘出し、一部を、シャントを造っていない腕の前腕部に移植する。透析を行わない日に全身麻酔で行い、入院は5日程度という。 ネットでこっそり手術の様子をリサーチするうち、私は泣き出したいような気持ちになった。2日に1度、あの畳針のような太い針に貫かれ、痛い思いを繰り返しているというのに、神はどこまで試練を与えるのか。 自分にできることはないかと栄養に関する本やサイトを必死に調べた。するとリンには「有機リン」と「無機リン(リン酸塩)」があるという。「無機リン」はビンや缶に入った食材、ソーセージ、ハム、レトルト食品、清涼飲料水など、あらゆる加工食品や防腐剤に使われていて、知らず知らずのうちに摂取させられている。しかも「無機リン」はそのほとんどを身体が吸収してしまうという。 加工食品なら食べるのを止めればいいが、意外に深刻なのは「有機リン」だった。「有機リン」は肉や魚、卵、大豆製品、乳製品といった良質なタンパク質とセットになっている。この摂取量を抑えるということは結局、タンパク質の量を減らすことになる。 リンは含有量を正確にはかることが難しいので、透析患者用のレシピを参考に、一食あたりの肉や魚の量を「片手のひらに乗るくらい」に制限した。2人前の肉や魚を用意しても、1.5人分は私が食べる感じだ。しかし、食事全体のカロリーが不足すれば疲労感が強まり、元気が出なくなる。だから、天ぷらなどの揚げ物や油を多く使う炒め物、間食などを多用して補った。わが家では週に2回は揚げ物をしていた感じだ。 良質のタンパク質と密接にかかわるリンの管理を厳密にやりすぎると、大事な筋肉を失い、「フレイル(健康と要介護状態の中間で、心身が衰えること)」の原因になる。こちらを立てればあちらが立たずで、透析患者の栄養管理は本当に難しい。 さらに悪いことに、骨から溶けだした過剰なカルシウムやリンは、血管・筋肉・皮膚・肺などの器官にじわじわと沈着する。血管に沈着すると、動脈硬化や脳血管障害を引き起こす。関節痛やひどいかゆみも問題になる。 林が関節痛のため、整形外科でレントゲンを撮ったときのことだ。普通は暗めに写る足先の血管が、はっきり白い線のように写っていた。長期透析患者の合併症のひとつで、リンやカルシウムの沈着により血管が石灰化した状態が可視化されたものだと聞いて、二人して結構なショックを受けたものだ。 皮膚のかゆみにも悩まされた。医学的には「搔痒症」というらしい。林は極度のきれい好きで、風呂に入るとこれでもかと身体を洗う。だから余計に皮膚が乾燥してかゆみがひどくなり、眠れないこともあった。身体を洗うナイロン製のスポンジを絹製に替えたり、石鹼を自然成分のものに替えてみたり、風呂あがりにこまめに保湿液を塗ったりして症状はいくらか改善したが、あの異常なかゆみの原因が、体の内側からくるものだと知ったときはどこか納得したものだ。 この時代の透析機器の性能は今ほど良くなく、カルシウムとリンの沈着や皮脂腺の萎縮、尿毒性の毒素などで「色素沈着」もよく起きた。透析患者は、どす黒い感じの顔色になることが多かった。林が通年、テニスを続けて日焼けを保っていたのは、顔色の悪さをカバーするためもあったのではないかと思う。 私自身はこれまで、風邪以外の病を患ったことがない。カリウムとかリンとか、考えたこともない日常から、それが命にかかわる人がいることを知った。色んな栄養素をちょうどよい塩梅に自動調節してくれる人体の精巧さをつくづく思う。 よく、「健康だけが取り柄です」などと平気で口にしていたが、林と暮らすようになって、そんな不遜な言葉はないことに気づいた。当たり前にあるもののありがたさは、失ってみないと分からない。 * さらに【つづき】〈「お前、透析になるんだってな。これで終わりだな」…医師からいきなり難病と診断されたテレビディレクターの「過酷な運命」〉では、林氏が透析をすることになった経緯や透析医療への思いが描かれている。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)
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