ふんどし姿のマッチョ学生が並ぶ「日本初の学校プール」 ノーベル賞作家・川端康成もプール作りに参加していた 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】
ノーベル文学賞作家の川端康成は、大阪市北区天神橋生まれ。幼い頃に両親が亡くなったことから、祖父母のいる現在の茨木市に移り住み、旧制茨木中学に入学しました。今回の写真は、川端康成が通っていた現在の茨木高校なのだと言います。 【兵動さん】「このあと茨木高校で話を伺うには?」 【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「そこの筋(茨木心斉橋商店街)をまっすぐ行ったら茨高になりますから」 【兵動さん】「分かりました」
■いよいよ茨木高校で真相に迫ります
茨木心斉橋商店街から徒歩10分のところにある大阪府立茨木高校へ向かいました。 2025年に創立130周年を迎える伝統校の校訓は、「勤倹力行(きんけんりょっこう)」。「生活を質素にして、日々努力して自分を磨くこと」を意味します。また「質実剛健」の校風から、およそ50キロの道のりを夜を徹して歩き続ける伝統行事「妙見夜行登山」が、大正14年から続けられています。 そんな茨木高校の校長に話を聞くことができました。 【兵動さん】「大正9年の写真で、茨高の水泳部の写真ちゃうかと」 【茨木高校 高江洲良昌校長】「詳しい歴史については水泳部の顧問が説明できると思います。昔は海や川沿いの学校が水泳をやる。ところが茨木にはそういう場所がない。そこで当時いた水泳の先生が、『掘って(プールを)作ったらええやんか』ということで始まったと聞いています。そのプールで、ここが『近代水泳発祥の地』と呼ばれています」
今回の写真は、1920年(大正9年)に撮影された「茨木高校」の風景だということが分かりました。そしてここが「日本近代水泳発祥の地」だということで、記念碑へ案内してもらいました。
さらに水泳部顧問の丸山先生に話を聞いてみることになりました。 【茨木高校 水泳部顧問 丸山博史教諭】「(これは昔の茨木中学水泳部の写真?)間違いありません。当時の在校生で、体育の授業などを使って、水泳場(プール)を作る作業をした。その中には川端康成さんもいたと聞いています。それが(日本の)学校で初めてのプールだったことから、『近代水泳発祥の地』と言われていると聞いています」 この「日本初の学校プール」が完成したのは1916年(大正5年)。今回の写真は、伊豆半島で行われた全国競泳大会で茨木中学(現・茨木高校)が優勝を果たし、学校へ戻りプールの前で記念写真を撮ったものだったのです。