「細身で長身、いつもオシャレな95歳男性」に惚れた「目も耳も不自由な90歳女性」の恋路の哀しい結末
老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。 医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。 *本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
ほのかなロマンス
ほかにも人気があったのは、細身で長身のSさん(95歳・男性)で、いつもオシャレなステッキをつき、ベレー帽にベストという“ダンディ爺さん”でした。耳はほとんど聞こえないので、会話は一方通行でしたが、女性職員に「あなた、若いですな。ボクと結婚しませんか」とキザな調子で誘ってみたり、「火曜日、チューズデーですな」とインテリっぽくつぶやいてみたり、送迎バスが着いたあと、看護師長が介助に付き添うと、「腕を組んで行きましょう」、腕を差し出して、六十代の看護師長を照れさせたりしていました。 車椅子から一歩も立ち上がれないMさん(94歳・男性)は、目も耳も不自由なので、ほとんど会話は成り立ちませんが、いつもニコニコと満面の笑みで、何を聞いても手を合わせ、「ありがたい、ありがたい」と深々とお辞儀をします。その笑顔はまるでお地蔵さまのようで、心から感謝しているのが伝わってくるので、こちらまで気持ちがなごみ、職員たちに人気でした。 Mさんがお地蔵さまなら、Nさん(90歳・女性)は童女のような人で、会話も無邪気そのものでした。戦前にご主人の仕事でフィリピンに行っていたらしく、私がパプアニューギニアの日本大使館に勤めていたことを話すと、「マッカーサーという人、知ってはりまっか」と聞くので、「知ってますよ」と答えると、「会うたことおますか」と言われて面食らいました。マッカーサーがパプアニューギニアの首都ポートモレスビーにいたのは、私が生まれるはるか前なのですから。 私の苦笑にもかかわらず、Nさんは懐かしそうに語ります。 「わたしはマニラに十年いてました。マッカーサーが、日本はもうじきアメリカと戦争するけど、日本が負けるから、今のうちに引き上げなさいと言うてました。ほんならその通りになって。日本はアホだんなぁ」 無邪気なNさんとしゃべっていると、戦争の話も思わずなごみます。 このNさんに、どうしたわけか車椅子で目も耳も不自由なMさんが好意を持ち(顔が見えなくてもフィーリングでわかるのでしょう)、Nさんもまんざらでもないようで、二人を同じテーブルに並べると、いい感じですごしていました。 あるとき、Mさんがついに意を決したらしく、Nさんへのプレゼントを持ってデイケアに来ました。ところが折悪く、その日、Nさんは体調不良で欠席し、次の出席予定日も来ませんでした。 Mさんは再会の日を心待ちにしていましたが、Nさんは残念ながらそのままデイケアに来ることなく、ご自宅で亡くなりました。Mさんにはもちろんそのことは伝えませんでしたが、何かを感じるのは、はたまた年齢のなせる業か、徐々に食欲をなくし、入院したかと思うと、まるでNさんのあとを追うように亡くなりました。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)