<クマと共生する知床半島>日常を守る対策から学べること
「あっ、クマいた」 小誌記者の隣に座っていた岐阜大学3年生の井内結叶さんがぽつりとつぶやいた。 【写真】「シカとクマと私、みんな同じ道を歩いています」 バスに乗車していた全員が我先にと身を乗り出し、井内さんの指差す方向に目を向けた。谷底に小さな沢がある。水辺のすぐ近く、緑の中に浮き立つ黒くて大きな物体は、紛れもなく、ヒグマだった。小誌取材班も瞬時にカメラを構え、クマを探して撮影したのが上の写真である。 手前に2台の車が止まっていることに後から気付いた。人との距離がそれだけ近かろうと、構うことなくクマは出てきていたのだ。 バスに乗車していたのは、イントロダクションでも紹介した「知床ネイチャーキャンパス」に参加中の学生たちだ。 知床における野生動物管理の第一線で活躍する講師陣が、市街地でのヒグマ対策や⾃然復元に向けた取り組みなど、体験的な学習を学生たちに提供するプログラムで、9月23日~25日に行われた。このクマに出くわしたのは2日目、午前11時過ぎのことであった。小誌取材班は2時間ほど前にも同じ場所でヒグマを見た。同じ個体であったかもしれない。 昨年、知床半島は過去に類を見ない緊迫した状況に陥った。斜里・羅臼の両町で、合計2570件(12月末時点)と、過去最多となるクマの目撃情報が寄せられたのだ。 「この店の周りだけで20頭も駆除されましたからね。まさに、異常事態でしたよ」 そう話してくれたのは、斜里町ウトロで「えぞ鹿工芸館」を営む照井弘志さん(72歳)。知床在住50年の鹿角工芸家だ。仕事柄、頻繁に山に足を運ぶ中、これまでに幾度かクマと遭遇したという。 「市街地によく出るメスのヒグマや子グマと、オスのヒグマとでは見た目が全く違います。オスは首の後ろの骨がまるで恐竜のように盛り上がっていました。そりゃ、怖かったですよ」
クマを市街地に出させない対策は手広く同時進行で
照井さんが過ごすウトロの市街地は、全長約5キロメートルにわたってフェンスと電気柵で囲われている。しかし、海や河川、国道や急斜面地には物理的に柵が設置できないため、ヒグマの侵入を完全に防ぐことはできない。 「人間が通れるということは、クマたちにも当然、通れるということです。こうして電気柵を設置していても、その先にクマの目的物があれば、この柵を越えてくるか、穴を掘って下からくぐり抜けてきます」 学生たちに現場の厳しさを説く松林良太さん(49歳)は、知床財団の一員だ。異常事態の連続だった昨年は、小学校のすぐ裏でもクマが現れたという。 「9~11月頃にかけて、保護者の方はほぼ毎日、子どもの送迎のために車を出していました」(同) 説明を受けたその場所にもクマが出没したという。川沿いとはいえ、そこは市街地の中心部である。 今、この瞬間にも、ヒグマが出てくるのではないか─。 こんな緊張感は、現地を歩かなければ味わうことはできなかった。 住民としての日常生活が脅かされれば、クマとの「共生」という言葉も空虚に聞こえるだろう。地域として正しい知識と危機感を持ち、ごみや放棄果樹を町からなくす取り組みなど、クマが「来ないよう」努めることは必須である。 それと同時に、「来たらどうするか」ということにも備えなければならない。知床財団は昨年、2カ月もの間、24時間体制で町の安全を守り続け、必要な時には駆除の現場にも臨んだ。人間として「押し返す力」を有しておく必要もある。 さらに、そもそもクマが「森から出なくて済む」ように、自然にもアプローチをかけていく。 「森の生きものたちの環境を整備・復元していくことで、クマとの軋轢も減らすことができます」 同財団の中西将尚さん(49歳)が分かりやすく解説してくれた。 「例えば、サクラマスというサケの仲間は、どの魚よりも森の一番奥深くまで泳ぐ力を持っています。海の栄養を森へ運んでくれる大切な生きものです」 そんな魚たちが通るための「魚道」を整えること、その魚の餌となる虫を集めるために水辺の林(河畔林)を丁寧に育てること。一見クマ対策とは程遠いように感じるかもしれないが、森づくりと川づくりは表裏一体の関係である。自然は全てつながっているのだ。 同時に、クマが出る前に人間側にできることはまだある。私たちはそのことに気付けていないだけなのかもしれないとも感じた。 世界遺産である知床のような対策を全国一律で行うのは難しいかもしれない。それでも、人間とクマが共存する環境をつくり出そうとするその地道な努力から、学べることはあるはずだ。
仲上龍馬