明治の地ビールを復刻、東京都日野市の「TOYODA BEER」はどんなビールか?
再び日の目を見るきっかけとなったのは平成25年(2014年)、区画整理に伴って行われた山口家の文化財調査だった。発掘現場から、当時のビール貯蔵所の跡や製品ラベル、写真乾板などが見つかったのだ。 調査後、発掘に関わった人々の間で、「このビールを復刻したら、面白いんじゃないか」という声が上がるなど、復刻に向けた機運が高まる。 平成26年(2014年)8月、日野市で庁内プロジェクトチームが発足。翌年2月には、ビールの復刻を通じて地域の活性化や市の認知度向上を図ろうと、産学官金のメンバーによるTOYODA BEERプロジェクト実行委員会が発足した。実行委員長に推されたのは、豊田郵便局長で豊田商店会理事を務める増島氏だった。
当時の新聞広告に「独逸醸造法」との記載
当時のビールは、どのようにして製造されていたのか。製法についての記録は残っていないものの、当時の新聞広告に「独逸醸造法」との記載があったことから、ドイツスタイルで造られたと推定。ラガータイプの製法で醸造することに決めた。 生産はどこで行うのか。日野市内にはビールを製造できる会社がないため、東京都福生市の石川酒造に協力を依頼。実は、山口家と石川家は縁戚関係にあり、明治時代には日本酒とビールの製造で助け合う関係にあった。こうした背景もあって、石川酒造は快諾したという。 広報・PR活動では、公式ホームページを立ち上げて復刻に向けた取り組みや、ビールを取り扱う小売店・飲食店を紹介する他、市の広報紙に特集記事を掲載。また、大手紙を含むメディアにも記事として取り上げられた。 「短期的には、TOYODA BEERを拡販することが大切。それとともに、長期的視野で街づくり、地域活性化をテーマにした活動も展開する必要があります」(増島実行委員長)。長期的視野での活動については、今日も抱え続けるテーマでもある。 発売日は、「ひのよさこい祭り」が開催される7月26日。当日は、会場となったJR豊田駅北口通り付近で発売記念イベントを実施し、TOYODA BEER約1350杯を販売した。 売れ行きは好調で、発売後約2時間で1000本を完売した大手スーパーがあったほか、別の小売店でも数日で売り切れるところが続出した。このため、9月初旬には急遽追加で5000本を出荷した。