阪神淡路大震災から20年 ── 鉄道被害状況・その後を振り返る(鉄道ライター・伊原薫)
神戸・大阪に甚大な被害をもたらした阪神大震災。JRや私鉄各社も、この地震により未曾有の被害を受けました。震災から20年、今や何事もなかったかのように復旧していますが、ここで当時の被害状況を改めて振り返ってみましょう。
高架橋や車庫が倒壊するなど、甚大な被害を受けた
地震が発生したのは午前5時46分。わずか数十秒でしたが、史上初という震度7の揺れにより、鉄道も壊滅的な被害を受けます。JRや阪神・阪急などでいくつもの駅が倒壊。高架駅の1階部分がそのまま崩れたJR六甲道駅や阪急伊丹駅などでは、下敷きになった方が亡くなられました。 神戸高速鉄道の地下駅・大開駅ではホーム階の柱が崩れ、地上を走る道路も大きく陥没しました。また、阪神電鉄の石屋川車庫では、高架式の留置線が多数の車両とともに崩落。この他の被災とあわせ、阪神電鉄では保有していた車両の1割以上にあたる41両が廃車となりました。新幹線でも高架橋が崩落するなどの被害が出ましたが、まだ営業開始前だったために脱線等はありませんでした。この他にも盛土の崩落、架線柱の倒壊、変電所等の被害など、一瞬にして阪神間の鉄道網は寸断されることになります。 鉄道にとってせめてもの救いだったのは、この時間がまだ夜明け前であり、通勤ラッシュが始まっていなかったこと。もしラッシュが始まっていれば、もっと多くの列車が、満員の乗客を乗せて走っていたことでしょう。さらに、東海道・山陽新幹線の営業開始前だったことも幸いしました。新幹線は、最高速度から急ブレーキを掛けても停止するまでに2キロ以上を必要とします。もし、列車が崩落した高架橋を猛スピードで走っていたら・・・考えただけでもぞっとします。
全国からの応援を受け、脅威のスピードで復旧
地震を受け、京阪神の鉄道は一斉に運転を中止。被害状況を確認するとともに、早くも復旧工事が始まりました。翌日までには被害が軽微だった路線を含め、JRは塚口まで、阪急は西宮北口・雲雀丘花屋敷までが復旧。阪神電車も、被災を免れた尼崎車庫の車両を使って梅田~甲子園・尼崎~西九条間での運転を再開します。 その後も沿線住民や自治体の理解を得て24時間態勢で工事が進められるとともに、代行バスの運転も開始。JRは被災した神戸線の代替ルートとして福知山線・播但線・加古川線で列車の大幅増発を実施し、和田山経由の臨時快速列車も運転しました。これら路線では車両不足を補うため、JR西日本管内はもちろんJR東日本などからも応援の車両が駆けつけ、大阪以東と姫路以西を結ぶ唯一の鉄道ルートとして重要な役割を果たしました。 鉄道各社が総力を挙げて復旧工事を行った結果、4月1日にはJR神戸線が全線で運転を再開。地震発生からわずか74日という驚異的なスピードで復活を遂げました。全線復旧の数日前、再建されたJR六甲道駅付近の高架橋を、強度試験のため4編成の電気機関車が同時に進む姿をテレビ等で見た方も多いでしょう。 少しずつ、しかし確実に復旧していく鉄道は被災地にとって心の支えでもありました。当時受験生だった筆者は、志望大学の被災によって試験会場が変更となったのですが、まだ倒壊した建物の間を走る鉄道に「きっと神戸の街は元に戻る」と願わずにいられなかったことを思い出します。 私鉄では阪急電鉄が6月12日の夙川~西宮北口間、阪神電鉄が6月26日の西灘~御影間の復旧によってそれぞれ全線が復旧。前述の大開駅を含む神戸高速線も8月28日に全通しました。しかし、大開駅は通過扱いとなり、駅の営業を再開したのはちょうど1年後の1月17日でした.