「産まない選択せず児相に相談してくれた」 特別支援学校高等部の16歳が講演活動しながら待ち望む実母との再会
福岡市の南福岡特別支援学校高等部2年、小島瞬さん(16)が、冗談めかして自身の個性を口にした。 「三つの障害をコンプリートしています。発達しすぎたのかもしれません」 3月、市内で開いた「おはなし会」。三つとは自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)のことで、集まった約20人に自身の生い立ちや体験を述べていった。 生まれてすぐ市内の乳児院に預けられた。養育里親の登録をしていた北里謙二さん(64)、聖子さん(59)夫妻が1歳で引き取った。実親の存在を告げられたのは4歳の時だった。「ママが産んだ子どもではないけれど、ママとパパの大切な宝物」と。 瞬さんは翌日から半年間、聖子さんにせがんだ。「僕を産んで。キリンだから産んで」。動物だけでなく昆虫の日もあった“赤ちゃん産まれごっこ”。幼心に事実を受け止めようとしていた。 南福岡特別支援学校に入学すると、車いすを使う子が多かった。自身は脳性まひで左手足に不自由はあるが、「1人で何でもできる」と感じていた。その自信は小学3年で入った少年野球チームで打ち砕かれる。 他の子のように打てず、走れず、守れない。チームメートがささやく悪口は、全て聞こえた。聴覚過敏があり、ひそひそ話もはっきり聞こえるからだ。「やっぱり自分は障害者。普通の人にはかなわない」。互いを隔てるバリアーを痛感した。 この頃、北里夫妻は他に5人の里子も養育するようになっていた。最初の里子、瞬さんとの暮らしがあまりに幸せだったからだが、当時、実の親と交流がないのは自分だけだった。瞬さんは抑えきれない感情を、泣きながら夫妻にぶつけた。 「僕は、障害者だから捨てられたんだ」 夫妻は何とかしなければと思い、つながりのあった乳児院や児童相談所の関係者に相談。そして、長崎県にいる瞬さんの祖父の所在がつかめた。瞬さんが中学1年になった春だった。 聖子さんと2人で会いに行った。祖父は喜び、地元を案内しながら知人に紹介してくれた。「孫が遊びに来てくれました」。自身の存在の源流に触れ、生きる力が戻ってきた。 中学3年の頃、教員向けの研修でLDについて話した。元担任からの依頼だった。文字がぐにゃりと曲がって見え、線が重なった漢字は読めない。特に難しいのが英語。アルファベット同士がくっついて見えるし、bとdを区別できない-。そんな実体験を披露すると、ある参加者が「過去に勉強に困っている子がいた。もしかしたらLDだったのかも」と感想を寄せた。 そこで気付いた。「障害のことを知りたい人って、たくさんいるんだ」。健常者と障害者とのバリアーを破る光明が見えた。野球チームでの出来事も、障害について説明していない自分に非があったと思えた。安易に誰かのせいにするのではなく、自分が後悔しないよう「まずは伝えることが大事」と確信した。 冒頭の「お話し会」。瞬さんは視覚過敏であることも説明した。視界に入る情報が多すぎると集中が途切れたり、混乱したりするため、小学部の頃は掲示物が何もない部屋で授業を受けていたという。 「感覚に特有の敏感さを抱えています。怒られても効果はなく、悲しくなります。何とかする方法を一緒に考えてほしいと思います」。発達障害がある自分たちの世界の捉え方を、一人でも多くの人に知ってもらう。それが今の目標だ。 中学生までは里親の北里姓を使っていたが、高等部に入った昨年度から戸籍上の「小島」を名乗る。実母が付けてくれた名前。講演の終わりにこう述べた。 「僕を産まない選択をせず、どうしても育てることができなかったので児童相談所に相談してくれた。感謝しています」 教員向けの研修で話してから、この日が7回目となった講演。里親のつながりを生かし、公民館などに持ちかけて福岡、熊本両県内で話をする機会を重ねている。いつか、実母が会場に顔を出してくれる瞬間を待ち望みながら。 (編集委員・四宮淳平) ■小中の6.5%学習に著しい困難■ 文部科学省は学習障害(LD)について、「聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する」の六つのうち、一つもしくは複数の能力が著しく困難な状態と定義する。指導上の工夫や個に応じた手だてが必要とした上で、例えば文章を目で追いながら音読することが苦手な子どもには、拡大コピーを用意したり、読む部分だけが見える道具を活用したりすることを挙げる。同省は2022年の調査で、公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の6.5%が「学習面で著しい困難を示す」との推計結果を公表している。