【有馬記念】唯一「あれ?」と思ったフランス遠征/ドウデュース友道師独占手記3
<栄光の道程> グランプリ有馬記念(G1、芝2500メートル、22日=中山)でラストランを迎えるドウデュース(牡5、友道)を管理する、ダービー3勝トレーナー友道康夫調教師(61)が、独占手記連載「栄光の道程」で愛馬との道のりを振り返る、全4回の第3回。 ◇ ◇ ◇ 18日が、ドウデュースにとって最後の追い切りでした。いい動きでしたし、まずはひと安心です。追い切りの前、馬場入りからずっとドウデュースを見ていました。ポリトラックコースに入る時、ふと「ああ、これで最後なんだな」と、さみしさがありました。ただ、再来年には子どもが誕生し、早ければ4年後にはドウデュース産駒が走ります。今は楽しみな気持ち、ありがとうの気持ちが大きいです。 この馬はいつも、いい動きをしてくれます。追い切り後に「あまり良くなかった」と思ったことは、ほとんどありません。元気過ぎて、プールに毎日行くくらい健康で丈夫。すごい馬です。ただ唯一、「あれ?」と思ったことがあります。それは22年のフランス遠征の時でした。 向こうに滞在中、カイバこそ食べていましたが、正直本来の動きからほど遠かったです。筋肉が落ちている印象もありました。「この状態でもドウデュースなら勝てるだろう」。能力を信じてニエル賞に挑みましたが、結果は4着。「1回使ったら、良くなってくれるはず」。そう思い、凱旋門賞へ向けて調整を進めましたが、良くなりませんでした。なぜ、そんなことになったのか…。向こう(フランス)の環境が合わなかった。それしか考えられません。 豊くんが凱旋門賞(19着)後、「また来年(フランスに)行きましょう」と言いました。フランスは10月に入ったら途端に天気が悪くなるらしく、「10月1日の凱旋門賞が一番馬場がいい」と。ちょうど次の年が10月1日開催だったので、そこを目指すことになりました。 翌年のドバイターフで取り消しとなってしまい、凱旋門賞行きはなくなってしまいました。ただ、豊くんが言った通り、次の年はパンパンの馬場で、日本馬スルーセブンシーズが4着まで追い込んできましたからね。1年越しに、さすが「武豊」だなと改めて感じた瞬間でした。(つづく)