アジア杯敗退→10戦負けなし 士気上がらず…森保監督がチームを立て直した2つの“秘策”【コラム】
森保監督がとった3バックの策
そんな日本の目を覚まさせてくれたのは、3月の長友佑都招集と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だった。長友は積極的にコミュニケーションをとって選手間をつなぎ活気を取り戻させた。またとにかく相手の情報が少なく過去の対戦でも緊迫した戦いになっていたこともあって、選手たちには緊張感があった。 実際、3月21日のホームゲームでは試合の立ち上がりから高い集中力を見せた日本が2分に田中碧のゴールで先制する。だが、その後はなかなか相手ゴールを割ることができない。そして1-0のまま試合終了となる。 ところがここで思わぬ事態が生まれた。防疫を理由に相手国への入国が禁止となり、そのため国際サッカー連盟(FIFA)は日本の3-0勝利という裁定を下したのだ。そしてこの結果、日本の最終(3次)予選進出が決まった。 今年、森保一監督にとって一番難しかったのはこのあとだろう。6月の2次予選、ミャンマー戦とシリア戦は消化試合になってしまった。ヨーロッパのリーグが終わったばかりの選手たちは緊張の糸が切れてしまっているかもしれない。そんな状況で、前回対戦のときはともに5-0と勝利している相手にどう選手たちの集中力を高めるのか。森保監督がとった策は、それまでオプション的に使ってきた3バックを採用することだった。 2024年のそれまでのすべての試合はメンバーこそ違ってもすべて4バックでスタートした。2022年カタールワールドカップの際は、グループリーグ初戦のドイツ戦の後半から3バックに変更したがコスタリカ戦では4バックに戻した。グループリーグ第3戦のスペイン戦、ベスト16のクロアチア戦と3バックで挑んでいる。 そのころの森保監督は「4バックから3バックへの変更は比較的簡単」「自分が得意なのは3バックだから、4バックのトレーニングを多くしている」と語っていた。慎重にスタートするときは4バックにして、状況に応じて3バックに変更するというやり方を採用していた。 森保監督はカタールワールドカップ後も4バックをメインとした戦いを続ける。2023年9月10日に行われたドイツ戦も4バックでスタートして勝利をつかんだ。サイドバックがボランチの位置に入ってくるフォーメーションも4バック。「自分たちでよりボールを保持する」というスタイルは、当初の考えなら4バックが前提だったと言えるだろう。 その森保監督が方向を一気に転換した。そして3バックの動きを整理するためには、ミャンマー、シリアはいい相手だった。ミャンマーには中村が2点、小川航基が2点、堂安が1点を奪って5-0。シリアには上田、堂安、南野、相馬勇紀、そしてオウンゴールで、こちらも5-0と大勝したのだった。 この戦術の変更に加えて、選手間の熱を上げてくれる長友の招集というのが指導者としての森保監督の腕だと言っていい。形而下のフォーメーションという分かりやすい部分に手を加えるだけではなく、形而上の選手の感情という部分にも手を入れた。3バックへの変更と、ベンチに入れなくとも3月以降ずっと長友が呼ばれ続けているということがその後の日本代表を支えている。 [著者プロフィール] 森雅史(もり・まさふみ)/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。
森雅史 / Masafumi Mori