本が生き残る場所は、けっきょく「遅さ」にしかない
人文書をつくる編集者が、担当した本や影響を受けた本など、人文書の魅力を綴るリレーエッセイ。5回目は、平凡社新書・平凡社ライブラリー編集長の岸本洋和さんです。岸本さんが考える、いま、求められている本とは。 【写真】会社の机に貼ってある、鳥好きの自分のために子どもが描いてくれたオオルリの絵と手紙。
いろんな本をつくってきた。 エッセイ、ノンフィクション、世相を批評する本、科学者の文章を集めた随筆シリーズ、展覧会図録、音楽の本、鉄道の本、小説、写真集、絵本、マンガ……。最近では詰将棋評論という未知の分野の本(若島正さんの『詰将棋の誕生』)も担当した。 いまの会社に入って13年半、少なくとも150冊はつくったと思うけれど、その内訳を腑分けしてみると、いわゆる「人文書」はそんなにない。 それは、自分が人文学の研究からドロップアウトした人間だから、ということも関係あると思う。大学と大学院では、文化人類学の研究室に所属していた。研究者になるために大学院に進んだが、自分はひとつのことを突き詰めるのに向いていない性格だということに気づいて、修論も書かずに中退した(そして京都に逃亡した)。どこか自分は人文書をつくってはいけないのではないか、そんな負い目があったように思う。ただ、いろんなことに興味があるという意味では編集者に向いた性格だったかもしれない(その結果が、上に記したあまりに雑多な担当書籍のジャンルだ)。 平凡社に入ってはじめてつくったのは、2012年3月刊の『おしえて! もんじゅ君』という本だった。東日本大震災のさなか、当時(いやいまも)原発問題はなにも解決しておらず、どうすればいいのか、みな戸惑っている状態だった。そこに問題をわかりやすく解説してくれるキャラクターがTwitter(現X)に登場した。それがナゾのキャラクター、もんじゅ君だ。福井県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅを勝手にゆるキャラにしたアカウントで、最盛時は10万人もフォロワーがいた。 この本、当時はまったく「人文書」だと思ってつくってはいなかったが、よくよく考えてみるとこれも人文書なのではないか──。この原稿を依頼されて、ふとそんなふうにこじつけたくなった。 古今、「人文書ってなに?」と惑った編集者全員が参照してきた「紀伊國屋じんぶん大賞」のウェブサイトには、「当企画における『人文書』とは、『哲学・思想、心理、宗教、歴史、社会、教育学、批評・評論』のジャンルに該当する書籍(文庫・新書も可)としております」とある。もんじゅ君の著書だって、じゅうぶん社会の本だし、批評・評論に当たると言えるかもしれない。じんぶん大賞の定義で行くと、法学、政治学、経済学、経営学以外のいわゆる「文系」的分野の本はだいたい「人文書」にあてはまる。これで自分も大手を振って「人文書編集者」を名乗れる! というのは冗談だが、人文書というのは書籍特有の「遅さ」を象徴している存在のように思う。 ここで言う遅さというのは、ネットやテレビに比べて情報伝達が遅いというだけの話ではない。本の購買者に手に取られるのもゆっくりだし(もちろんベストセラーになる人文書というのもなくはないけれど、ごくごく少数だ)、読み手のこころの中に浸透していくのもゆっくりだということである。ゆっくりだということはけっして悪いことではない。ゆっくりこころにしみこんだ考えは、ずっと読者のなかに残る(少なくとも、そう信じて本をつくっている)。 『おしえて! もんじゅ君』はそのなかにあっては比較的即効性をもった本ではあったと思うが、2015年から出してきたシリーズSTANDARD BOOKSは、まったくもって「遅い」本だ。このシリーズは、おもに科学者が書いた随筆をひとり1冊でまとめたもので、いままでに27冊出ている。そのうちの1冊『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』は、2023年の朝の連続テレビ小説「らんまん」のおかげで立て続けに増刷がかかるという僥倖に恵まれたが、それ以外の本は、1年に1回重版になるかどうか。でも確実に売れていっている。爆発的ではなくとも忘れられずに着実に売れていく、この速度がぼくは大好きである(とか書くと、会社のひとから怒られそうだ)。 このシリーズがいわゆる人文書かと言われるとちがうと思うが、科学という営みを相対化したり、一般のひとにわかりやすく説明したり、という分野は、じつはどちらかというと「人文学」である(むろん、文系、理系を単純に分けることはナンセンスであることは言うまでもない)。学問の分野で言うと科学史、科学哲学、科学論、科学技術社会論、科学コミュニケーション論……そんなところが思い浮かぶ。なぜそんなことに詳しいかというと、冒頭で文化人類学の研究室に所属していた、と書いたが、実際に自分が研究していた分野は科学論であり、要するに元専門分野だったからだ。 話がそれたが、本が生き残る場所は、けっきょく「遅さ」にしかないと思う。自分がいま編集長をしている新書というメディアは、本のなかでは比較的速さが求められるジャンルだ。 そのなかでもおもしろい売れかたをした新書がある。2024年1月に出した、柳瀬博一さんの『カワセミ都市トーキョー』だ。都心に回帰してきている「清流の幻の鳥」カワセミを通して、東京の地形や現在の都市のありようを読み解いていくという、じつにすぐれて人文書的知的興奮に満ちた本なのだが、1ヶ月目よりも2ヶ月目、さらに3ヶ月目のほうが売上が伸びていった。どの本もそうだが、とくに新書というのは発売2、3週間が勝負である。自社が出す新刊が、前の月の新刊を書店の店頭から押し出してしまうからだ。『カワセミ都市トーキョー』の売れかたは非常に珍しい。ベストセラーとなった柳瀬さんの著書『国道16号線』もそうだが、即効性はないけれども「そうだったのか!」という知的興奮に満ちた本、やはりいま求められているのはそういった本ではないか。 2024年11月に、『入門講義 現代人類学の冒険』という本を出した。著者の里見龍樹さんは大学の同級生で、当時里見さんは社会学の学生、ぼくは人類学の学生だった。立場が変わって、いま里見さんは人類学の研究者、ぼくは書籍の編集者になった。この本も、「人類学では、なにを、どういうふうに考えているのか」ということをつづった、人文学的知のおもしろさに満ちた本になっていると思う。そういう意味では、2024年に担当した2冊の写真集、日本全国の海中を撮影した高久至さんの『潜る』、ヒマラヤの8000m峰を山麓から山頂までとらえた石川直樹さんの『チョ・オユー』、どちらも人文知のおもしろさが詰まった本だ。 これからもいろんな分野の本を雑多につくる編集者人生が続いていくだろうけれど、どんな本であれ、人文学的知のおもしろさが感じられる本をつくっていきたいと思う。
朝日新聞社(好書好日)