「令和の米騒動」とは何だったのか――コメ争奪戦を生んだ構造的要因と課題
2024年夏に起きた「令和の米騒動」の正体は、供給と需要の変化がもたらしたコメ争奪戦の最終局面だった。 最も弱い立場だったのは、スーパーでしかコメを買わない一般消費者である。商品棚からコメが消え、メディアが「令和の米騒動」と煽るなか、パニック買いした人も多かった。 今年の新米の収穫は順調で品薄感は解消しつつあるが、普段身近なコメだけに「令和の米騒動」とは何だったのか気になる読者も多いだろう。 「令和の米騒動」はどうすれば避けられたのか。そもそも「米騒動」と騒ぎ立てるほどだったのか。そうした点を解説しながら、この一件が時代の変化の兆しとなる可能性について考えていきたい。
多様な要因による供給の変化
今回の品薄の原因は、供給と需要の両方にあるが、とくに供給側が大きな影響を及ぼした。 23年産のコメは、面積あたりの玄米は平年並みに収穫できた。しかし、生産調整の推進を背景に生産面積を減らし過ぎたため、主食用米の生産量は、農林水産省の見通しより8万トン少ない661万トンだった。 しかも、ただの661万トンではなかった。その品質は大幅に低下しており、かつ主食用に流通させる玄米を選別する際にふるい目から落ちた「ふるい下米(したまい)」が激減するという特異な年だった。 この品質の変化には、気象が影響している。一部で渇水が起きるほどの記録的猛暑となった23年は、コメの「高温障害」により、デンプンが十分詰まらずに実った白未熟粒(しろみじゅくりゅう)や、玄米から精米する際に砕けやすい胴割粒(どうわれりゅう)が多発した。たとえば新潟県産「コシヒカリ」の1等米比率は、4.9%(平年は75.3%)にまで落ち込んだ。 ふるい下米は、前年の51万トンから32万トンへと激減し、過去最低水準となった。 ふるい下米は、低価格なブレンド米に混ぜるほか、みそや米菓、ビールなど米加工品に使用される。通常、高温障害ではコメ粒が薄くなりやすく、ふるい下米が増える。しかし23年は夏前に多くの地域で日照不足となり、イネが新しい茎を出す「分(ぶん)げつ」が抑制され、面積あたりのもみが減った。もみが平年より少ないイネは、夏以降に平年を上回る日照時間や記録的猛暑を受け、一粒一粒を肥大させたのだ。