なぜアメリカ人は「陰謀論」を信じやすいのか? 「実話に基づく」とする映画にもある“危うさ”の背景
人身売買にまつわる陰謀論と「Q アノン」
劇場で販売されているパンフレットを読むと、「本作で描かれていることが真実であるか否かについては議論の余地がある」「(過去にカヴィーゼルが)陰謀論を吹聴した」と記載されてはいるが(レビューを依頼された映画ライターの方の葛藤が想像できる)、映画を見た観客のうち、パンフレットを購入して目を通す人の割合は少ないと思われる。 現実における子どもの誘拐や人身売買は、親が子を売るといった、身内や知人による犯行が多いという専門家の指摘もある。個人的にも、こうした映画が大手のシネコンで普通に公開される状況が意外だった。 また、もっとも驚いたのはエンドクレジットである。主演俳優が「大手のスタジオとは違って、自分たちには資金がない。カンパしてほしい」と観客に頼み込むと、画面に寄付用のQRコードが出るという掟破りの展開に、こんなになりふり構わない映画は初めてだと感じた。エンドクレジットは物語の余韻を楽しむものだと思っていたので、主演俳優が真剣な表情で寄付を求めてくる姿に、かつてない斬新さを覚えたのであった。 エンドクレジットでスクリーンから観客に向かって寄付を求めるような映画を公開するのであれば、シネコンや配給会社には、その映画が信頼に足るものかをチェックする役割があってもいいのではないかとも思うのだが……。
「ピザ・ゲート」「地球平面説」…さまざまな陰謀論
本作のテーマでもある「子どもの人身売買」は、陰謀論者のQアノンが好む題材だ。よく知られたデマのひとつに「ピザ・ゲート」がある。 米政治家ヒラリー・クリントンが人身売買に関与しており、ワシントンD.C.にあるピザ店(コメット・ピンポン)がその本拠地になっているという荒唐無稽な空想は、インターネットで拡散されていくうちに真実であると信じられるようになり、ついには店内にライフル銃を持った男が押し入って発砲する事件にまで発展した。 なんの変哲もないピザ店が、いつの間にか悪の巣窟であると信じられているのだから恐ろしい。一度その妄想に火がついてしまえば、どれだけ否定しても疑いを晴らすことができない陰謀論は、アメリカが抱える大きな問題のひとつである。 「そんなことはあり得ない」と否定すればするほど、「だからこそ怪しい」「必死に否定するのが逆に疑わしい」と妄想は深まってしまう。根拠などなくとも、多数の人びとが繰り返し取り上げるうちに、それは謎に包まれた悪の象徴になるのだ。こうなれば陰謀論の拡散を止める方法はない。 私の好きなドキュメンタリー作品に、『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』(2018)がある。これは、地球は丸いのではなく、料理を載せて運ぶトレイのように平面である、と信じる人びとを追った映像作品だ。この途方もない想像力には感動すら覚えてしまうが、実際に地球平面説を唱える人を取材すると、周囲から冷たい目で見られたり、コミュニティから孤立してしまったりするそうである。 平面説を信じる方にはやや気の毒な忠告となるが、やはり地球は丸いと思う。いまからでも正気を取り戻してほしいと願うばかりだ。