“甲子園の魔物”は隙を見逃さなかった!ダルビッシュ有も経験した…勝利目前から痛恨の「暗転劇」
「勝負は下駄を履くまでわからない」とよく言われる。夏の甲子園大会でも、勝利を目前にしながら、思わぬプレーがきっかけで、まさかのどんでん返しに泣いたチームも少なくない。そんな“甲子園の魔物”が現れたシーンを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】 【写真を見る】爽やかイケメンすぎる 鋭い眼差しを見せる球児時代の「ダルビッシュ有」 ***
「泣いて終わりたくなかった」と笑顔で甲子園を去ったダルビッシュ
今年5月に史上3人目の日米通算200勝を達成したダルビッシュ有(現・パドレス)も、東北エース時代の2004年夏の甲子園で、3試合連続完封勝利目前から一転悪夢の逆転負けを喫している。 4季連続出場の甲子園で頂点を目指した最後の夏、1回戦で北大津を13対0、2回戦で遊学館を4対0と連続完封したダルビッシュは、3回戦の千葉経大付戦も、雨でグチャグチャになったマウンドで、得意の変化球が決まらず、8回まで5度も得点圏に走者を背負いながら、粘りの投球でゼロに抑えつづける。 そして、1対0の9回、先頭打者に安打を許し、犠打などで2死三塁のピンチも、あと1人で勝利というところまで漕ぎつけた。 次打者・井原努は平凡な三ゴロ。誰もが「これで試合終了」と確信した。ところが、7回に安打でチャンスを広げ、チーム唯一の得点に貢献した4番打者のサード・横田崇幸が「一瞬勝ったという思いが頭をよぎった」とファンブルし、一塁に痛恨の悪送球。土壇場で同点を許してしまう。 試合は延長戦に突入し、この日166球を投じたダルビッシュは、10回に決勝打を許して降板。2点を追うその裏、2死無走者で打席に立ったが、見逃し三振に倒れ、降りしきる雨のなか、敗れ去った。 それでも、「最後は泣いて終わりたくなかった」というダルビッシュは、ゲームセットの瞬間、打席で笑顔を見せた。9回のエラーについても、「エラーは誰でもするもの。たまたま、ああいう場面で出た。仕方ないです。いつも助けてくれる野手がいるので、点を取られなかったし、平常心で投げられました。チームメイトにはありがとうと言いたい。頼りないキャプテンだったけど、ついてきてくれて感謝しています。」と穏やかな表情で答えた。 プロ入り後のダルビッシュが20年の長きにわたって活躍を続けているのは、高校時代に主将としてチームをまとめ、精神的に成長できたことが大きなプラスになっていると言えるだろう。