【闘病】「“関節リウマチ”はコップを持つのも厳しい」私がリアルな声を発信する理由
関節リウマチは若い女性に発症しやすく、全身の関節が腫れる・変形するなどの症状が現れる病気です。今回お話を聞いたふゆさんは20代で関節リウマチを発症し、さまざまな体と心の変化を経験されました。現在では治療を続けながら関節リウマチについての情報発信など、病気の理解を促進するための活動を精力的にされています。そこで、病気発症の経緯から治療の流れ、現在の活動についてお話を聞きました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
生活の変化と同じタイミングで関節リウマチを発症
編集部: ふゆさんが関節リウマチと診断された経緯を教えていただけますか? ふゆさん: 発症したのは29歳の冬のことです。手足のしもやけのような症状がやけに長引き、指の付け根までパンパンに腫れていたため、近所の総合病院を受診しました。医師からは「関節リウマチかもしれないから、リウマチ科のある大きな総合病院にかかったほうがいい」と指示があり、別の総合病院を受診しました。そこで血液検査などをしてもらい、すぐに「関節リウマチ」と判明しました。 編集部: 突然の診断で驚かれたと思います。 ふゆさん: はい、その当時は10年間連れ添った元夫との離婚直後で、「関節リウマチ」の診断でさらなる追い打ちを受けた気持ちでした。関節リウマチは一生治らない病気だと知り、ただでさえ漠然とした不安を抱えていた時に一人きりになってしまったことに絶望しました。今思うと、この時のストレスが関節リウマチの発症に関わっていたように思います。 編集部: 医師からは治療方針について、どのような説明があったのでしょうか? ふゆさん: 服薬治療を行いましょうとのことでした。主治医と話し合って「治療の最終目的は、過去にやっていたヨガができるようになること」として、その目標に向けて寛解を目指すことになりました。痛みに応じてステロイド薬を服用して一時的に症状を緩和したり、症状が落ち着かない場合は薬を変更するという治療を続けています。 編集部: 治療を開始してからの経過を教えていただけますか? ふゆさん: 治療を開始してから数年間は、関節リウマチの症状はほとんど感じませんでした。一時は「私は本当に関節リウマチなのだろうか?」と疑い、生活習慣も悪く薬を飲み忘れるなど、治療に対して不真面目でした。そのまま2年ほど経つ頃、結核を発症してしまいました。関節リウマチは免疫力を低下させる薬を服用するため、風邪をひきやすくなると説明されていましたが、十分に注意をしていませんでした。この時大変な思いをしたことが、治療に対する姿勢を改めるきっかけとなりました。 編集部: 免疫抑制剤やステロイド薬の影響もありますから、それ以上の重症化しなかったのは救いですね。 ふゆさん: 結核の治療も終えて数年が経ってから、IT企業への就職と引っ越しなど生活環境は大きく変化しました。そして、引っ越した先の病院で新薬の治験に約1年参加しました。ですが、当時2回目の結婚をしており、妊活のために治験は途中で終わらざるを得なくなってしまいました。その後、再度引っ越しをして、今度はリウマチ専門病院へ通うことになりました。 編集部: 生活環境の変化でも体調が悪化しなくてよかったです。 ふゆさん: はい。しかし、2018年頃に2度目の離婚を経験し、精神状態の悪化から薬の服用を勝手に止めてしまいました。そのせいで数週間後には全身の関節が腫れ、歩くこともままならないほど症状が悪化しました。おそらく、これまでの闘病生活で一番悪かったのはこの時で、そのような時を一人で過ごさなければならず、辛い日々でした。関節リウマチは「朝のこわばり」という症状があり、起きてから数時間こわばりや関節痛、むくみで動けないことがあります。一人ではトイレに行けず困ったり、関節の痛みで倒れ込んでそのまま床で過ごしたりすることもありました。 編集部: 現在はお仕事もできる状態まで回復されたのですか? ふゆさん: 一時期は仕事ができなかったため、医師からは治療費がかからず、治療にも専念できる生活保護もすすめられたことがあります。しかし、生活保護は受けず、仕事も続けました。その後、さらに別の病院に転院し、生物学的製剤のアクテムラの自己注射に切り替え、現在も治療を続けながら働いています。現在の職場は関節リウマチの私を受け入れてくれており、感謝しています。