【最大の謎】福岡城に天守閣はあったのか 新たな史料を発見「天守をお建てになった」 市や財界は復元に前向き…困難も
FBS福岡放送
こちらは、天守閣があったのかどうか、最大の謎となっている福岡城です。天守閣の存在をうかがわせる新史料が発見されました。 【画像】福岡城に天守閣はあったのか 新たな史料を発見「天守をお建てになった」 市や財界は復元に前向き…困難も
10日午後3時から始まった福岡市の会見。 ■高島市長 「福岡城の天守閣の存在を後押しするような、新しい資料が発見されました。」 福岡市中央区にかつてあった「福岡城」。最大の謎とされているのが「天守閣の存在」です。
■中村安里アナウンサー 「こちらの福岡城跡、今は天守台のみが残っていますが、かつてここに天守閣はあったのでしょうか。」 10日に発表されたのは、天守閣が「あった」ことをうかがわせる新たな書状の発見です。これまでの通説では、福岡城に天守閣は「なかった」とされてきました。
■中村アナ 「こちらが、福岡城に天守閣がなかったとされる根拠となっている地図です。」 1646年に描かれた福岡城の絵図です。多くの櫓(やぐら)は描かれているものの「天守台」の部分には、天守閣、つまり建物が描かれていません。 築城した黒田長政が、徳川幕府への遠慮から天守を築かなかったとされていたのです。しかし、これまでも福岡城に天守閣が「あった」ことをうかがわせる史料が見つかっています。
■九州産業大学・佐藤正彦名誉教授 「黒田藩士の小河(おごう)さんというところから発見された文書なのですが、天守の欄干が腐ったから修理しろと。ということは、ここで天守があったことと、欄干付きであったことがはっきりわかるわけです。」 福岡市によりますと今回、新たに発見された史料は天守閣が「あった」とする学説を補強するものだといいます。
それが、この書状です。江戸時代前期、1640年から50年ごろのものです。黒田家が筑前に入国した直後のことを黒田家の家臣が記しています。その一節に「天守をお建てになった」という内容の記述が確認されます。 福岡市博物館によりますと、この書状を書いた家臣の祖父や父親が、築城した黒田長政と同世代で、家臣はその世代から聞いた話を記したのではないかということです。福岡城の築城を直接体験した世代から得た情報で、信憑性(しんぴょうせい)は非常に高いとしています。 ■高島市長 「福岡城に関する市民の関心の高まりと合わせて、こういうタイミングで史料が出てきたのは、さらにロマンをかき立ててくれるのかなと思います。」 福岡市や地元財界は、観光振興策の一環として福岡城の復元に向け前向きです。ことし春には、復元の機運を高めようと、「仮設」の天守閣を造りライトアップしました。 福岡城の天守閣復元について、街の人に聞きました。 ■街の人 「あったんじゃないかなと私は感じています。できたら人も集まるし、名所になるんじゃないか。」 「あるかないか分からないものを作る必要はない。」 福岡城に天守閣はあったのでしょうか。福岡市は今後も、天守に関する調査や史料の収集を進めたいとしています。
福岡商工会議所がことし9月に行ったアンケートでは、福岡城の復元に「賛成」と答えた市民が59.1%、全体のおよそ6割でした。ただ、現段階での復元はかなり困難です。 文化庁は主な理由として、 ①復元の参考となる城の設計図や古い写真など、直接的な史料が福岡城には残っていないこと。 ②また、福岡城は国の史跡なので新たに復元する場合は国の許可が必要となること。 以上の2点を挙げています。