“江戸のヒーロー火消”の活躍を伝えるかわら版 速報性と冴え渡る編集能力
編集者としてのかわら版屋
火事が起こると、まず町火消が活躍する。そして、鎮火した後に動き始めるのが、我らがかわら版屋である。 本連載でもすでに触れたように、大きな火事や天災があると、商家などは遠方の取引先に向けて、即座に被害状況を伝えた。その際に利用したのが、民間の飛脚「町飛脚」である。そのため、町飛脚を仕立てる飛脚問屋には、必然的に多くの情報が集まった。これを、かわら版屋が買い取り、利用したのである。 次に掲載するかわら版は、おそらく町飛脚が預かった手紙を、ほとんどそのまま写して作られたものだろう。
本文を読んでみると、1858(安政5)年2月25日に、大坂の道頓堀で起きた火事を速報したものだとわかる。道頓堀は当時から数多くの芝居小屋が並ぶ、「芝居の本場」だった。この火事は、まさにその芝居小屋付近から火が出たとあり、江戸の繁華街と変わらぬ建物の過密地域だったことから考えて、相当被害は大きかったと推察される。 江戸だけでなく大坂やその他の都市においても、火事があれば必ず、町飛脚が被害情報を各地に運び、それを利用したかわら版が出た。この「大坂出火類焼次第」は、火事発生から間もなく発行されたものに違いないが、絵などが一切入っていないのは、この時期においては珍しいと言える。 普通、かわら版屋は、このように被害状況を伝える刷り物であっても、そこに何とか個性を刻みつけようとした。例えば、はじめに掲載した町火消たちが描かれたものなども、そういった特徴付けの一つと考えられる。町火消の絵が付いていれば、一見して火事の被害状況を速報するものとわかるため、買い手目線で考えても優れた商品となったことだろう。 情報流通量が増加すれば、自然とかわら版屋も増え、発行されるかわら版の数も多くなる。その状況で、ほかの同業者を出し抜くためには、情報獲得の手腕のみならず、得た情報をどう料理するか、つまり広い意味での「編集者としての能力」まで要求されることとなった。 速報性や正確さに加えて、紙面の見やすさとわかりやすさ、そしてインパクト。情報を売りたければ、こういった条件をクリアしなくてはならない。ほぼ同じサイズの文字で、淡々と綴られた「大坂出火類焼次第」のようなかわら版は、次第に居場所を失っていくこととなる。