なぜわざわざ「紅葉」を見に日本に…? 世界中の人に愛される紅葉の名所を作った平安貴族たち
日本の紅葉が「世界一」のワケ
紅葉の便りが各地から送られてくるようになった。海外からも紅葉目当てに訪れる人が多い。紅葉する樹木は日本以外にもあると思うのだが、なぜわざわざ日本に紅葉を見に来るのだろう。 【祇園】「格子の灯りと紅葉」もっと身近に自然を楽しみたいと… 「紅葉する樹木の代表といえばカエデの仲間。世界には約150種のカエデの仲間があり、諸説ありますが、そのうち25~26種が日本に自生しています。しかも、その多くが日本固有種です」 こう言うのは、京都府立植物園名誉園長の松谷茂さんだ。 「これほど植生が豊富なのは、日本列島が南北に長く、北は冷温帯から南は暖温帯と、気候帯に幅があり、それぞれの気候帯に適応した植物が自生するためです。 さらに先進国の中でも、国土面積に対して森林面積の割合が高く、100m上がるごとに気温は0.5℃下がるため、3000m級の山では、ふもとは30℃でも頂上近くは15℃ほどになります。つまり、一つの山で暖温帯から冷温帯までの気候帯があるのです」 緑の葉が徐々にオレンジ色になり、さらに赤くなる。あるいは緑が薄くなって黄色になる。植生が豊富なために、山に登るとさまざまな色が楽しめる。こうした景色は日本特有のものではないかと松谷さんは言う。 確かに山は標高差があるから色のグラデーションが楽しめる。では、庭園はどうだろう。 「自生しているものもありますが、山からとくに美しく紅葉する木を持ってきて、植えたりもしていました」 松谷さんによると、日本人は昔から移りゆく葉の色の変化に季節のうつろいを感じ、はかなさの一面としても楽しんだ。紅葉の季節が過ぎると、厳しい冬が訪れることがわかっていたので、せめて美しく色づいている期間だけでも精一杯楽しもうと“紅葉狩り”に出かける文化が根付いていったのではないかと推察している。 「山が色づくのを見るだけでは物足りず、自分たちの身近に置きたいと庭に持ち込んだのが平安貴族たちだと思います。『源氏物語』には、光源氏が折り取ったもみじを頭にかざして舞を舞うシーンが描写されているので、紫式部の時代には庭のもみじを愛でていたと思われます」 京都は夏は暑く、冬は寒い。そして、1日の寒暖差が大きい。そのために美しい紅葉となるそうだが、平安貴族たちの紅葉への思いが世界中の人に愛される紅葉の名所を結果的に作ったようだ。 平安貴族は山から庭へもみじを移し植えたが、室町時代になると、もっと身近に自然を楽しみたいと室内に自然を持ち込むことになった。それが茶花であり、それから生け花が生まれたとか。鑑賞向きに作る園芸品種を生み出す文化もこのころから始まったという。 「カエデの仲間は突然変異をする性質があり、1本の枝が突然変化した葉をつける性質があるため、山でそのような枝を見つけると、持ち帰って挿し木や接ぎ木をして、増やしていきました。 とくに江戸時代になると、徳川家康や秀忠が花好きなこともあり、大名たちがこぞって珍しい花木を献上。日本は世界のどの国にもない園芸文化を築き上げ、今に至っています」 結果、カエデの自生種は25~26種であるのに対し、園芸種は100とも200とも数えられるほどになったという。園芸品種が多いことも、もみじの色のバリエーションを増やすことになったのだろうか。 「園芸品種の多くは葉の形や枝ぶりが変わったもので、園芸品種が増えたことが、もみじの色数が増えたことにはなりません」 これほどまでに花木を愛するのは、日本人の宗教観によるところが大きいのではと松谷さんは言う。 「日本人は、自然界のあらゆるものに神が宿っているという宗教観を持っています。御神木として木を祀ったり、神社によっては山をご神体にしているところもある。 自然に対する敬虔な気持ちが、自然を愛し、もみじを楽しむことにつながっているのではないでしょうか」 ◆京都の紅葉が「ものすごくきれい」だったのは、10年以上も前のこと…… 北のほうではすでに紅葉が始まっているが、今年も京都では見事な紅葉が見られるのだろうか。 「わかりません。温暖化は紅葉には完全にマイナスです。問題は最低気温。美しい紅葉になるためには最低気温が徐々に下がり、5℃以下の日が続くことが必要です。そして、適度な雨も必要。と、なによりも木が元気なこと。11月に入ってからの気候にかかっています」 今年の夏は暑かったが、その影響はあるのか。 「気温が高いと光合成が盛んになるので、紅葉にはプラスに作用しますが、降水量が少ないと葉の周りがチリチリになって見苦しく、また、紅葉する前に散ってしまう」 松谷さんによると、京都の紅葉がものすごくきれいだったのは、10年以上も前だという。今年は見事な紅葉が見られるだろうか。 ▼松谷茂/京都府立植物園第9代園長。「生きた植物を生かしたまま後世に伝え残し続ける」というアカデミックさと植物を生かしたエンターテインメントとの両立を図り、4年連続で公立総合植物園における年間入園者数日本一を達成。定年退職後、同植物園初となる「名誉園長」の称号を贈られる。現在、京都府立大学客員教授。 取材・文:中川いづみ
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